昭和56年

×「初笑い!ザ・ドリフターズ!全員集合」-(01/02〜11)


パンプ表紙

チラシ表

ザ・ドリフターズ(いかりや長介・加藤茶、高木ブー・志村けん・仲本工事)

柏原よしえ・倉田まり子・岩崎良美・フィ―バ―

この公演にNDTは出演して居ません。


×「初春 小柳ルミ子オン・ステージ」-(01/13〜18)
 構成・演出:原田博行 振付:山田卓 装置:三宅景子 音楽:宮川泰 出演:小柳ルミ子 ダンディズ

 

1981年日劇公演「初春 小柳ルミ子 オン・ステージ」の舞台台本(B5版・全98頁)です。

 

 この公演にNDTは出演して居ません。
 この年年明けのショ−は「初笑い!ザ・ドリフタ−ズ全員集合」-(01/02〜11)ガ公演されて居ますが、01/12及び01/19〜21の4日間の公演記録は「日劇レビュ−史」にも記載は無く不明です。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」
 上記の01/19〜21の4日間上映されたと思われます。


×「サヨナラ日劇ウエスタン・カ−二バル・俺たちは走り続けている!」-(01/22〜25)

YouTube
ザ・タイガース「君だけに愛を」
ザ・スパイダース「「あの時君は若かった」
その他→ YouTube(サヨナラ日劇で検索

日劇の最後のショ−「サヨナラ日劇-FESTIVAL-あゝ栄光の半世紀」の前に昭和33年2月に始まり昭和52年8月まで続いた「日劇ウエスタン・カ−二バル」が4日間公演されました、多い時には年4回も公演され公演日も一週間が普通でした、下左は本公演のパンプ表紙下右はパンプ内のサイン集です、 プログラムに書かれたタイトルは「Good Bye NICHIGEKI WESTERN CARNIVAL」。そして表紙の男の口元に書かれたサブタイトルは「We never stop running」。このイベントのテーマは「俺達は走り続けている!」でした。
  この他に、後半2日間はザ・タイガースの再結成。あと1月23日(2日目)には、望月浩と藤本好一がブルージーンズをバックに歌いました。藤本は広島からやってきて飛び入りしたらしく(トレーナーにジーンズという普段着でした)、多分寺内氏の楽屋へ挨拶した際に「お前、歌え」という事になったのでしょう。最終日には、当時ブルージーンズのボーヤとして再修業していたあいざき進也が、寺内氏に言われて1曲歌っています。森山加代子は、この当時「かよ子」と改名していました。


プログラム (A4サイズ)表紙
モノクロ32ページ

プログラムの出演者サイン

オ−ルウエイズ&沢田研二

下右上は「サヨナラ日劇ウエスタン・カ−二バル」の1月23日のチケットとチケット入れです。



入場券

入場券ケ−ス

ビデオ



「毎日グラフ」1981年2月15日号
(左下)  http://www.asahi-net.or.jp/~ja9k-sg/nitigekiM1.htm
 ここでは、雑誌における「最後の日劇ウェスタンカーニバル」特集を紹介しています。
所謂週刊誌の類では1、2頁程度の紹介はどこでも載せていましたが、全面的に取り上げたのは、この「毎日グラフ」位しかなかったのではないかと思います。

表紙の写真はジュリーが『おまえがパラダイス』を歌うシーン、バックはオールウェイズです。


 下中央は「サヨナラ日劇ウエスタン・カ−二バル」の大ポスタ−
下右下は「サヨナラ日劇ウエスタン・カ−二バル」の看板を掲げた日劇の映像です。
東京、激変の記憶40年久保 靖夫 作品展「 都市と人間 」
消えゆく日劇、最後のショー  中央区銀座 1981  http://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/photo-exhibition/2005/20050726.html

 



沢田研二★8P日劇最後・インタビュー【YOUNG】’81/3月号 
 渡辺プロのFC会報「YOUNGヤング」の1981年3月号です。
巻頭はこの年の1月に行われた日劇最後のウエスタン・カーニバルで、10年ぶりに再結成したザ・タイガースや、ザ・スパイダース、ブルーコメッツ、ワイルド・ワンズ、ジャガーズ、シャープフォークスなどのGS(グループサウンズ)などが掲載されています。
また、当時結成していた沢田研二とオールウェイズ、萩原健一とドンファンR&Rバンド、内田裕也とトルーマン・カポーティR&Rバンド、そしてフィナーレに沢田研二と萩原健一が一緒に歌っている写真などもありますよ。


「GS & POPS別冊 日劇ウェスタン・カーニバルの歴史 1967−1872年にかけての公演に関する資料集です。昭和59年発売。(全56ページ)
公演パンフレット、出演者一覧表など、各回の出演グループと演奏曲目がすべてわかる貴重な資料です。写真も充実しています。

「GS & POPS別冊 日劇ウェスタン・カーニバルの歴史U 1958−1967年にかけての公演に関する資料集です。昭和59年発売。(全56ページ)


日劇ウエスタン・カ−二バル」の日劇ライブCD
左は「サヨナラ日劇ウエスタン・カ−二バル」の日劇ライブCD3枚組のジャケットです、
 アポロン音楽工業より3巻セット6900円で発売されたものです。ケースにスレがありますが普通に鑑賞できます。 ザ・タイガース 沢田研二 シャープ・フォークス 田川譲二 寺内タケシとブルージーンズ ディブ平尾 山下敬二郎 佐川満夫男 スリー・ファンキーズ 尾藤イサオ ジャッキー吉川とブルー・コメッツ ザ・ワイルドワンズ等。

 このCDを聴けば日劇ウエスタン・カ−二バル」の全盛期を偲ぶ事が出来ます。

 特に最下段は
81年のさよなら日劇公演VOl 3のCDで,10年ぶりに再編したタイガースとオールウェイズ編。タイガースといえばストーンズのカヴァーが思い浮かぶが,ここでは再編記念のヒット・メドレーの構成。全盛時を彷彿とさせる観客の嬌声とジュリーの涙のMCが聴き物。内容左は(「CDジャーナル」データベースより)






「ウエスタンカーニバルの時代 ポップスヒストリーvol.1」
(東芝 TOCT-10826 Mono) 2002.br> カヴァー曲やリメイクがブームの中、東芝レコードの音源を再発掘。
これまでCD化されることのなかった作品だけでなく、通販のみで流通していた楽曲も収録した貴重盤

   

 サヨナラ日劇・ウエスタン・カーニバルのライヴ音源テ−プ
3本組で発売されたうちの、vol.3です。A)ザ・タイガース、B)沢田研二&オールウェイズ。函、
アポロン KSF−1306、1981年。GS.






ビデオ



ポスタ−

週刊朝日2月6日号

新聞切り抜き

   
   

*日劇最後のウェスタンカーニバル生写真3枚
*当日の前売りチケット S56年1月23日
1枚 当日券チケット S56年1月24日1枚
*サヨナラ日劇PART1 ウエスタンカーニバルグラフティ5ページ
*サヨナラ日劇PART2萩原健一・内田裕也・沢田研二BIG座談会!5ページ

     


NDTの解散と日劇の解体取り壊し報道

 この年NDTの解散と日劇の解体取り壊しが報道されると、マスコミに日劇関係の記事も多く取り上げられる様になりましたが、朝日新聞夕刊の次の二つの記事が手元に残って居ますので紹介します。

朝日新聞(夕刊)-昭和56年1月10日(土曜日)

「NDTの58人は いま・・・」-芸能最前線-
 「ボンジュ-ルパリ」が昭和52年4月25日に千秋楽を向かえ日劇のレビュ-も終焉し、この当時NDTの団員として在籍されて居た女性41名・男性17名合計で58名で、この時期からNDTが解散した昭和56年2月の4年間の団員のその後に就いての特集記事が朝日新聞(夕刊)にかなり詳細に伝えています。
 この記事の詳細は別ぺ−ジに
NNDTの58人は いま」として纏めて有りますので参考にして下さい。

朝日新聞(夕刊)-昭和56年2月12日(木曜日)

「”サヨナラ日劇のNDT-武士俣幸子さん(27)」-若い芽-
 ”「議員秘書」からこの世界へ”のサブタイトルでNDT最後の入団者35期生の武士俣幸子さんが高校卒業後参議院議員秘書から夢を追ってレビュ−の世界に転進した記事です。
 この記事の詳細は
N昭和56年春NDTスタ-名鑑・香盤表(全員顔写真付き)を御覧下さい。
武士俣幸子さん クリック
武士俣幸子さん(35)

「サヨナラ日劇」のNDT団員構成
 NDT最後となったレビュ-「サヨナラ日劇」を迎える団員の構成人員は別ぺ-ジに製作したN昭和56年春NDTスタ-名鑑・香盤表(全員顔写真付き)に示した様にこの公演までNDT団員として頑張って来られた在籍者女性18・男性10・合計28名の小人数の構成に成ってしまいました。
 此の人数では日劇の舞台でのレビュ-公演は不可能な為元NDT団員22名の応援を得て総勢50名で公演が行われました。

「サヨナラ日劇」に出演したNDT団員」
 「サヨナラ日劇」に出演したNDTの団員は下表に示す様に、この公演までNDT団員として頑張って来られた在籍者28名とNDT退団者で応援出演された方が22名の合計50名でした.。
赤字はスタ−として出演された方達です

詳細はN昭和56年春NDTスタ-名鑑・香盤表(全員顔写真付き) を参照ください。

NDT在籍者
期別 女性 男性
戦前 - 0 - 0
6 - 0 - 0
14 松岡晴子 1 - 0
17 - 0 北川璋 1
18 - 0 神崎一人 1
19後 - 0 菊間清二 1
20 西川純代・大西富美子 2 菅原功 1
21 - 0 根本薫 1
22 近江ツヤ子 1 - 0
23 - 0 真島茂樹 1
24 新倉まり子 1 前新和範 1
25 中村千恵子 1 - 0
26 小牧英子 1 - 0
27 沢裕子 1 - 0
28 松岡蘭子・室谷晴美 2 - 0
29 - 0 宮田五郎 1
30 - 0 - 0
31 水谷ミチル・安河内ゆう子 2 野口あきら・辻裕 1
32 煌万有美・宮三紗 2 - 0
33 井上千鶴・岩木美加 2 - 0
34 -
-
0 - 0
35 久原まゆみ・武士俣幸子 2 - 0
- 18 - 10
NDT退団者(応援出演者男性は清水秀男さんのみです)
女性 男性
- 0 清水秀男 1
重山規子 1 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
- 0 - 0
鹿島とも子・加藤美佐江・柳谷真弓 3 - 0
- 0 - 0
岡野晴美 1 - 0
- 0 - 0
小峰美千代・渡辺志津子・吉田典子・柳沢さかえ・岡田真理 5 - 0
土屋扶美子? 1 - 0
安松操・三浦京子・川崎悦子・川崎裕子・鈴木江美子日高陽子・星正子・三浦敬子・吉川恵子 9 - 0
木村節子 1 - 0
- 21 - 1

昭和56年2月14日の楽屋香盤表


「サヨナラ日劇-FESTIVAL-あゝ栄光の半世紀」-(1/28〜2/15)

  第1部●日劇ダンシングチームグランドレビュ−
  第2部●華麗なる歌声

 第2部は是まで日劇の舞台に良く出演されていたゲスト歌手が日替わりで出演するショウ-で1部2部の間に10分の休憩を挟み合計で約2時間のショ-で1日ヒル・ヨルの2回公演で入場料は一般席で¥2200でした(下の観覧券とチラシを参照)。

 この時の観覧券が5枚残って居るので”yachan”は此のショ−は都合5回ほど見ています、
1:1/31日(木)-(桜田淳子-2部のゲスト歌手以下同じ)
2¥2/5(土)-(江利チエミ・雪村いずみ・中野ブラザ−ス)
3・2/8(火)-(中尾エミ・園まり))
4・2/15最終日(日)−(水前寺清子・辺見マリ・内山田洋とク−ル・ファイブ)をヒル・ヨル2回
 最終回は超満員で確か1階の右側通路の立ち見だった事を覚えています、最後の日の2回目は1部・2部の順序を入れ替えて2部の冒頭には特別出演者山口淑子・長谷川一夫・笠置シズ子・森繁久弥さん等が登場して日劇の思いでを語りその後にNDTが最後の舞台を飾りました。

 フィナ−レの幕が下ろされる前には客席に多勢観に来ていたNDTのOG・OBの方達が舞台に呼び上げられ、その中には何年振りに見る懐かしい顔触れの方々が見られ舞台客席共にペンライトの光の中に半世紀の幕が下ろされました。

 此の最終の舞台の様子は後日テレビで放映されその録音も残って居ます(Nichigeki HistoryのCD参照)。

「サヨナラ日劇」の観覧券とチラシ


「サヨナラ日劇」の観覧券

「サヨナラ日劇」のチラシ表

「サヨナラ日劇」のチラシ裏

 チラシの詳細はTF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM 昭和56年-T参照

桜田淳子さん関係のwebサイトは
  http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/5207/

水前寺清子関係のwebサイトは
  http://santa-room-hp.hp.infoseek.co.jp/chita/

辺見マリ関係のwebサイトは
  http://dribox.g-serve.net/kayopop/JpopGirl/M.Henmi/M.Henmi.htm

 
「サヨナラ日劇-FESTIVAL-あゝ栄光の半世紀の日劇
http://megaforce.org/v_nichi.htm

<< さよなら日劇ホール日本劇場 >>

 写真は当時の雑誌の切り抜き写真です。松竹歌劇団(SKD)とコンサート、演芸日劇ダンシングチ−ム(NDT)のレビュ−の日本劇場と地下に映画館。丸の内東宝、日劇東宝、日劇文化の3館が入っていました。プロマイド屋さんにカメラ屋さんのちに有楽座裏街に移転したパンフレット屋さんが1階にありました。

 日本劇場はウエスタン・カーニバルや大物歌手のステージを行っていた所で、今は新宿コマのみになってしまっています。かつてはここ日本劇場と浅草の国際劇場と新宿コマ劇場は3大演芸会場として大繁盛していたのです。その最後は米映画「サウンド・オブ・ミュージック」オリジナルの[70mm]フィルムでの上映でした。地下の日劇文化は白黒映画の古典作品等の上映が中心で、丸の内東宝は家族向け外国映画の上映、そして日劇東宝は東宝映画作品の上映でした。

現在は2つの百貨店のビルが建っています。
 そして、そのマリオン・ビル建設の東地区にあった朝日新聞社と映画館、丸の内ピカデリーと丸の内松竹があり、いずれも現在はマリオン・ビル上階に移転しています。 かつて「ウエストサイド物語」、「エクソシスト」や「E.T.」で知られた劇場です。 その以前では、松竹ピカデリーとして「アパートの鍵貸します」等の上映が行われた場所でもあるのです。また地下の丸の内松竹では「アンネの日記」等の名作のリバイバルや松竹映画の上映が行われてきました。

http://homepage2.nifty.com/cmb/mo/PLUSWEBS/nippon/NIPPON-THEATER.htm
注):赤字は”yachan"訂正

 日劇ミュ−ジックホ−ル1〜2月公演パンプ 

「サヨナラ日劇」のプログラム表紙 クリック
「サヨナラ日劇」のプログラム表紙→NDT最後のスタ-
この表紙の上部の写真は昭和49年「春のおどり」フィナ−レです

重山規子
ラストフィナ−レ
第2景「華麗なるリズム」
NTD最後のラインダンス-曲はビ−トルス「オブラディ・オブラダ」

チラシ&台本

 
チラシ表紙

チラシ裏

台本 
 
進行表


「サヨナラ日劇の第1部の景と主な出演者」
 第1部のショ-の内容は下の表に示す様に全8景で中程の第4景以外は総てNDTで歌手にはゲストの高英男さんとNDT-OGの鹿島とも子さんでした、
日劇の往年の傑作「ビギン・ザ・ビギン」と「ピ−ナッツ・ベンダ」は矢張り見応えがあり、第6景「シャンション・ド・パリ」では前の年に亡くなられた越路吹雪さんの遺影が舞台ホリゾントのスクリ−ン一杯に大きく映し出される前で鹿島とも子さんが唄う(ラストダンスは私に)が印象に残っています。

主な出演者 主な出演者
第1景「老松」 ☆老松-清水秀男
     重山規子
第5景「ピ−ナッツ・ベンダ」 ☆ピ−ナッツ・ベンダ
     ピ−ナッツ・ベンダ-神崎一人
     花売り-西川純代
     二人の女-近江ツヤ子・新倉まり子
第2景「華麗なるリズム」 ビ−トルズ・メドレ-のラインダンス-NDT女性全員34名
☆ロックン・ロ−ル・ミュージック−(唄)鹿島とも子
☆ミッシェル〜ヘイ・ジュ−ド
☆オブラディ・オブラダ-
第6景「シャンション・ド・パリ」 ☆ショ−・ビジネス・・・(ソロ)-鹿島とも子
☆ブン-高英男
☆セルソロ−サ-高英男
☆ラストダンスは私に-鹿島とも子
パリ・パナム-高英男・鹿島とも子
第3景「ビギン・ザ・ビギン」 ビギン・ザ・ビギン-(唄)鹿島とも子
              西川純代・神崎一人・真島茂樹-他NDT全員
第7景「ビ−ムは走る」 ☆第ニイギリス組曲プレ−バッハ〜ヨ−ヨ-
      近江ツヤ子・新倉まり子・真島茂樹
第4景「お笑い日劇」 コメディアン日替わり出演 第8景「世紀のフィナ−レ」 ☆マイ・ウエイ
☆ダンシング・クイ−ン
☆ハ−ド・ロック
☆ダンシング・クイ−ン
     出演者全員

第1景「老松」

清水秀男・重山規子
第3景「ビギン・ザ・ビギン」

神崎一人・西川純代・真島茂樹
第8景「世紀のフィナ−レ」

NDT最後のフィナ−レ

第5景「ピ−ナッツ・ベンダ」

第3景「ビギン・ザ・ビギン」

第8景「世紀のフィナ−レ」

「サヨナラ日劇」のフィナ−レ




昭和56年2月15日の「サヨナラ日劇」最後のフィナーレ

「NDT ALBUMに就いて」
 「サヨナラ日劇」のプログラムのなかには戦前からのNDTの舞台写真が可也収録されて居ますのでこれを複写掲載します。
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM 昭和56年-T

 又右下は昭和38年「日劇夏のおどり」の初演時のピ−ナッツ・ベンダの舞台写真です

全盛期だった頃の「大おどり」フィナ−レ
全盛期だった頃の「大おどり」フィナ−レ クリック
「サヨナラ日劇」のプログラムより
昭和38年「日劇夏のおどり」
初演時のピ−ナッツ・ベンダ-中央福田富子さん クリック
初演時のピ−ナッツ・ベンダ-中央福田富子さん

 プログラムの中には次の記載されて居ます。

  御挨拶・・・東宝株式会社常務取締役演劇担当・横山清二
  日劇と私・・構成演出・山本紫朗
  盛大に拍手を”さようなら日劇”・・・演劇評論家 橋本与志夫


「サヨナラ日劇」のCD
 昭和56年音楽のぺ―ジTOPぺ−ジ会員専用ページより


 このショ-の第1部は劇場で録音したテ−プが残っていましたのでCDに焼き付けて保存して居ます。

第7景「ビ−ムは走る」 クリック
第7景「ビ−ムは走る」→鹿島とも子
”yachan”のお気に入りは下記の曲です今回は印の曲のみ聴けます
 (会員のみ・・・TOPペ−ジよりパスワ−ド必要)
 今回は印の2曲をお聴かせ致します、ビギン・ザ・ビギンは約9分間ですがメモリの関係で今回は最初のVocal部3分のみです、中間は演奏のみでダンスが主になり最後の2分間がVocalとなります。

☆ロックン・ロ−ル・ミュージック−(唄)鹿島とも子
ビギン・ザ・ビギン(3.07)-(唄)鹿島とも子
ピ−ナッツ・ベンダ-NDT

☆ショ−・ビジネス・・・(ソロ)鹿島とも子
☆ブン-高英男
☆セルソロ−サ-高英男
ラストダンスは私に(3.18)-鹿島とも子
☆パリ・パナム-高英男
・鹿島とも子YouTube
「サヨナラ日劇」のCD クリック
「サヨナラ日劇」のCD

「Nichigeki History」-NHK総合TV
 日劇最終公演の模様を交えた日劇を偲ぶ番組が(NHK特集「さらば日劇 〜青春の街角の半世紀〜」(49分) 1981年(昭和56年)3月20日 放送)その頃NHK総合TVで放映されて居ます、残念ながら音声の録音だけですが残って居たのでCDに焼付け保存しています。
此のテレビは昨年(平成16年10月)にNHKア−カイブスとして再放送が行なわれた様ですが・・・残念ながら見落としました。
   http://www.k2.dion.ne.jp/~tetsusnn/sesou/nichigeki.htm 「さらば日劇」を見た

「サヨナラ日劇」FESTIVALの看板
「サヨナラ日劇」FESTIVALの看板
”yachan”のお気に入りは下記の曲です今回は印の曲のみ聴けます
 (会員のみ・・・TOPペ−ジよりパスワ−ド必要)
☆ロックン・ロ−ル・ミュージック−(唄)鹿島とも子

☆パリ・パナム-(高英男)
日劇の思い出-(森繁久弥)
建設の経緯
映画館上映から日劇ダンシングチーム誕生-訓練の厳しさ
蘇州夜曲(1.31)-李香蘭(山口淑子)さんの日劇7周り事件
風船爆弾工場

東京ブギブギ(3.09)-(笠置シズ子)
オトッサン・オカサンの台詞-(トニ−谷
カモナマイハウス-(江利チエミ)・遥かな(雪村いずみ
ロカビリ−(ダイアナ)
35年の大改装−地価映画館・雑居ビル化
「ピ−ナッツ・ベンダ」-NDT
☆ロックン・ロ−ル・ミュージック−(唄)鹿島とも子
最後のフィナ-レ解体(ロビ-の豪華な壁画)
Nichigeki HistoryのCD

 森繁久弥さんは日劇の社員(日本劇場の舞台進行係)でした。
   森繁久彌 - Wikipedia

李香蘭(山口淑子)さんを見たのはこの時が始めてです、右は蘇州夜曲を唄う李香蘭(山口淑子)さんです。
  李香蘭(山口淑子)さんのwebサイトは

   http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/001015.html
   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005ELT7/249-7785787-0592366

   
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0143440.htm
   http://www.c20.jp/p/yyosiko.html

 



 李香蘭(山口淑子)さんのYouTube

Soshu Yakyoku 蘇州夜曲 1 - 李香蘭 Soshu Yakyoku 蘇州夜曲2 - 李香蘭

、笠置シズ子さんは昭和30年の「日劇春のおどり」二の替りにゲスト歌手として出演されたのを観て居ます、
 右は東京ブギブギを唄う笠置シズ子さんです(右写真は昭和22年映画「花(春)の饗宴」より。
 東京ブギウギの大ヒットは、当時笠置が10月14日から翌月まで公演を行っていた「踊る漫画祭・浦島再び竜宮へ行く」(日劇)の挿入歌として歌われたことがきっかけとされている
http://www.hanamoku.jp/wikipedia/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%96%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%AE 参照

  笠置シズ子さんのwebサイトは
   
笠置シヅ子 - Wikipedia

 笠置シズ子さんの YouTube 笠置シヅ子 ブギ・メロディ

歌う明星(1) の他のヒット曲 歌う明星(2) の他のヒット曲

バックダンサ−は日劇ダンシングチ−ム

バックダンサ−は日劇ダンシングチ−ム

http://nana.musical.to/tubuyaki/gekijou/nichigeki.html 劇場と私日本劇場&日劇ミュージック・ホール


ビギン・ザ・ビギン

     


アサヒ芸能 '81.3.5日号

アサヒ芸能 '81.3.26日号
昭和56年3月26日発行<表紙>星野真弓 NDT10期生の殿岡ハツエさんの記事が載っています。

追跡調査・日劇ミュージックホール30年…ハダカで舞ったスターたちのいま〜島淳子・殿岡ハツエ・宝みつ子

日劇写真集
  昭和51年12月5日発行 定価4000円。白帝社発行

   

 
ラインダンス
 
西川純代
 
フィナ−レ
 
NDTの楽屋

サヨナラ公演記念メダル

     

灰皿

     

「昭和の日本劇場の変遷」

@:竣工開場当初の日劇


@-1:竣工当初の日劇

@-2:竣工開場当初の日劇

「日劇レビュ−史」8p

A:戦前絵葉書
 レトロなバスが走る、多分上記@の竣工当初と思われます。

B:昭和13年頃の日劇
 左下Aの日劇の写真は昭和13年頃今の数奇屋橋公園辺りからの撮影と思われます、手前にはあの有名な「君の名」の数寄屋橋がまだ健在でその下は皇居の外堀でその上の高速道路も無かった太平洋戦争前の日劇の姿がそこに在りますが良く見ると屋上の東芝のネオン飾りも無く日本劇場の看板文字も縦書きです。

C:戦前絵葉書
 上部に「日劇」のネオン看板を設置


A戦前絵葉書


B昭和13年3月(日劇レビュ−史より)


C戦前絵葉書

D:昭和30年代初期の日劇
 下左Dの写真は多分昭和30年代初期の頃丁度”yachan”が日劇を良く観始めた頃の映像と思われます。この時代まだ背景のビルも少なく日劇の屋上にようやく東芝のネオンサインが取り付けられて居ますがショ−の大看板上部の日劇の文字はまだ縦書きのまま残ってて居ます。

E:昭和30年代前半の日劇
 下中央右Eの写真は多分昭和32〜34年の頃即ち昭和35年末の大改修以前と思われます、もしかするとDと同じ写真かも?正面大看板が同じ様です、ただ日劇前の晴海道路の様子も良く写し出されて居てまだ庶民が自家用車に憧れていた車の少ない時代でした。

F:昭和38年?秋(日劇レビュ−史より):昭和30年代後半の日劇
 右下Fの写真は「日劇レビュ−史」のカラ−グラビアペ-ジの写真でこれには何時の頃の撮影か明記されて居ませんが、この写真を拡大して良く見ますと日劇正面玄関の上に掲げられた大看板には「秋のおどり」と映画「自転車泥棒」と書かれて居てその下に東芝テレビと横書きされた文字も見えます、イタリア映画「自転車泥棒」の初公開は昭和25年9月ですがBやCの写真と比べると屋上の東芝のネオンサインも新しくショ−の大看板上部の日劇の文字も東宝のマ−クを挟んで横書きと成って居るので多分昭和35年末日劇の大改装が行われた後の昭和38年日劇建設30周年記念公演「日劇秋のおどり」が公演中でNDTが最も輝いて居た時代の日劇の姿と思われます。

  http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=10055-映画「自転車泥棒」


D昭和35年?(30年代前期)

E昭和35年?(30年代前期)

F昭和38年?秋(日劇レビュ−史より)

G:昭和41年秋の日劇
 右下Gの写真は昭和42年「日劇春のおどり」プログラムのグラビアぺ―ジに記載されて居て’67(1967−昭和42年)の看板が上部に在りますが拡大して見ると正面の看板は「秋のおどり」で映画は「沈丁花」が上映中ですので昭和41年(1966)の秋の映像で日劇の前の晴海通りには未だ都電の姿が見られる今から約40年前の日劇です。

  http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22018/-映画「沈丁花」

H:昭和56年「サヨナラ日劇
 下中央左Hの写真は昭和56年「サヨナラ日劇FESTIVALあゝ栄光の半世紀」の当時の日劇です、屋上の東芝のネオンも変わりはて劇場外面が広告の看板で一杯に覆うわれ何かうらぶれてもの悲しい雰囲気をかもし出して居る様に思います、日劇はこの後解体取り壊されマリオンとして生まれ変わり松竹ピカデリ−劇場はその上階に新しく残されましたがレビュ−の衰退で日劇の名称は映画館としては受け継がれましたが実演劇場は無くなってしまいました、尚朝日新聞社は築地に新築移転して居ます、この写真と同のカラ−写真及びこの「サヨナラ日劇FESTIVAL」直前の公演「サヨナラ日劇ウエスタン・カ−二バル」時の写真もこのぺ−ジ上部に有ります。

I:昭和56年日劇の航空写真
 下中央右Iの写真は昭和56年当時の日劇の航空写真です、右隣の朝日新聞社の間に道路が有るのが良く判ります。

J:昭和59年以後現在
 下右Jの写真は現在の有楽町マリオンで日劇・朝日新聞本社・松竹ピカデリ−劇場の跡地の一区画に'84年(昭和59年)建設され西武と阪急デパ−ト・東宝松竹直営の映画館・朝日新聞ホ−ル等が営業しています、映画劇場に日劇の名前のみが残されました「1984年10月旧・日本劇場跡地に有楽町センタービル(通称有楽町マリオン。日本劇場、日劇東宝、日劇プラザ:現日劇プレックス)完成」


G昭和41年秋


H昭和56年「サヨナラ日劇」


I昭和56年日劇の航空写真

J現在の有楽町マリオン

K:昭和55年映画上映時代の日劇
 昭和55年3月以降ショ−を止め映画上映専門と成った日劇の映像が昭和55年のぺ−ジに在ります。

L:日劇の版画
 以上の他に昭和30年代初期の日劇の姿を描いた版画が「MS日劇ファンに嬉しいニュ−スと日劇2006-ビギン・ザ・ビギン-追加報道記事」のペ−ジに在りますので参照下さい。


日劇付近地図とその変遷」
 左下の地図は株式会社若木書房発行ロイヤル-F 東京区分地図帳(昭和46年10月発行)@千代田区より日劇付近を一部転載たもので右下の現在の同じ部分の地図と比較して見るとこの間35年の変化が・・・

  1:JR有楽町駅銀座側中央出口より晴海道路に向かう細い道はマリオン建設以前は真っ直ぐに伸びこの路に依って日劇と朝日新聞本社を分けて居ました、現在はこの路はマリオンの裏手にぶつかりやや右手の位置でマリオン内を通って晴海道路に抜けられる様に成って居ます、この通路の正面部分が日劇の玄関ホ−ルの在った場所です。
  2:正面玄関右手には地下の「ニュ−ス映画劇場-後に改造普通の映画館」に通じる階段があり、幾つかの小さなお店の地下街がありました。

  3:この朝日新聞社の通り(右上の日劇の写真で右側の朝日新聞社の建物の間に道路が在る)側の奥に日劇の大シャッタ−戸が在り「大おどり」の初日前夜等には大道具を運び込む為に開放され舞台裏を覗き見する事も出来ましたし深夜まで働く姿が見られました。

  4:反対のJR線路側の中ほどには日劇5階に在った小劇場(後の日劇ミュ−ジック・ホ−ル)への直接登る階段とエレベ−タ−があり、「大おどり」前には此処から貸し布団が大量に運ばれて居るのを目撃した事もあります、多分団員・スタッフの徹夜の稽古の為と思われます(徹夜の稽古に就いては「劇場ニ十年」の私の舞台稽古の項に記述あり)。
  5:日劇裏側の歩道は現在の逆側の歩道と同じ幅で狭くその左隅(現在交番の在る位置)にY楽屋口が有りました(昭和39年のペ−ジ参照)。

  6:周囲のビルも殆どが改築・改装されています
都庁が新宿新都心に移転(1991年その跡地は東京国際フォ−ラムと電気店ソフマップ)・マリオン裏の電気研跡の一画は駐車場として使用されていましたがが最近再開発ビルの建造が進められて居ます。


昭和46年日劇付近地図



現在の有楽町マリオン付近地図

有楽町マリオンの全景

お芝居めるまが
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         お芝居めるまが「シアターリーグ」  
Vol.182                http://www.moon-light.ne.jp/
      発行部数 まぐまぐ:4085 めろんぱん:147 melma:85
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1981年の今日は、東京の日本劇場(日劇)が閉場した日です。

1933年(昭和8年)有楽町に建設された日劇は、
1981年(昭和56年)の今日「サヨナラ日劇フェスティバル」の公演で惜しまれつつ、ほぼ半世紀近い歴史に幕を降ろします。

日劇は、東洋一の規模を誇る、芸能人憧れの舞台でした。
代表的なものでは、初期の古川緑波(ロッパ)一座の公演、1936年からの日劇ダンシングチーム公演、1941年の李香蘭「歌ふ李香蘭」公演の「日劇7周り半事件」、先週も触れた戦後の「ウエスタンカーニバル」、エノケン(榎本健一)の人気や、笠置シズ子の「東京ブギウギ」など昭和の日本文化を語る上で欠かすことのできない劇場です。

日劇の跡地には、現在有楽町マリオン(有楽町センタービル)が立ち、日劇があった辺りは、阪急百貨店になっています。また、2002年までは映画館に「日本劇場」の名を残していましたが現在はその名称も「日劇PLEX」に。
こうして少しずつ変わっていってしまう様は寂しさも憶えてしまいますが、丸みを帯びた建物の外観だけは、今なお当時の面影を残しています。


http://www.moon-light.ne.jp/mailmagazine/2006/182.htm

日本劇場:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8A%87%E5%A0%B4


東京丸の内ユビキタスミュージアム
 下は何れも航空写真ですが中央の写真は左側が日劇と朝日新聞本社、中央線路の上が当時のそごうデパ−ト(現在ビックカメラ)、上部には皇居のお堀が見えます、その他の詳細は下のwebサイトを御覧下さい。
http://www.tokyo-dmy.jp/m/main.php?x=245&y=737&layer_id=1


航空写真 1963年(昭和38年)頃

航空写真 1980年(昭和55年)頃

<戦後15年(1960年代-昭和35年)頃>(左下)
 築地上空から言問、吾妻橋方面

 足元には完成間近かの首都高速道路が見える。中央やや右を上下に走っているのが晴海通り。左右に走っている雑然とした大通りが昭和通り。歌舞伎座も見える。JRの線路の手前には三角の旧朝日新聞東京本社ビル、その先の丸い建物が日劇。西銀座〜新橋〜築地を走る首都高速は建設中。L字型のお堀の角が日比谷交差点。JR有楽町駅付近にはまだビルの姿は無い。

45年前の東京上空散歩   撮影:玉田勇
http://www.asahi-net.or.jp/~yt8i-tmd/sen_01.htm

昭和初期、日劇竣工前後の絵はがき(右下)
 泰明小学校、朝日新聞社、三菱一号館、三菱銀行本店、東京会館、帝国劇場なども確認出来ます。
http://www.tokyo-dmy.jp/m/read.php?id=175&x=245&y=737&layer_id=1



昭和初期、日劇竣工前後の絵はがき


資生堂 タイムマシン
 このwebサイトにも日劇の映像が在ります。
http://www.shiseido.co.jp/s9706gnz/html/gz1_ncn1.htm

 この他の日劇の映像としては次のぺ−ジに夫々の年代の映像が有りますの参考にして下さい。
1:昭和18年のぺ−ジ3月10日は太平洋戦争開戦2度目の陸軍記念日 日劇正面に「撃ちてし止まん」のスローガン
2:昭和26年のぺ−ジの付録のGINZA PHOTOGRAMM 2006〜瞬間(とき)を銀座から :
http://www.ginza.jp/ga-gf2006/list.html
3:昭和33年のぺ−ジに2月の「第1回ウエスタン・カ−二バル」及びその年末当時の写真
4:昭和34年のぺ−ジの「夏のおどり」のパンプに昭和33年末「日劇ビック・パレ−ド」-(33/12/23〜30)の看板を掲げた当時の日劇の写真及び昭和34年?「日劇春のおどり」上演時の日劇-絵葉書(二枚共珍しく夜間の映像)

5:昭和38年のぺ−ジに1月の「無責任だよ ザ・ピ−ナッツ」のプロの中に当時の写真
6:昭和40年のぺ−ジに「こまどり姉妹ショ−」-(39/9/10〜16)の看板を掲げた当時の日劇の写真
7:昭和55年のぺ−ジに10月10日発行のアサヒグラフに掲載された当時の写真


今は、無き日劇会館解体記念の緞帳
 日劇で実際に使われていた緞帳です。解体記念で、関係者に配られた物を額に収めて在ります。本体の緞帳は実際に使用されていたものです



日劇ミュ―ジックホ―ル1971年新春公演=甘美なるウーマン・リブ
ゲストはカルメン・マキ、テリー水島。NMHヌードは小浜奈々子・松永てるほ・朱雀さぎりの3枚看板をはじめとして豪華15名のラインナップ。


「終わりに当って」
 ”やっちゃん”が生まれた頃と同時期に日劇の建設が始まりNDTを観始めた昭和28年からは「大おどり」が定期的に公演される様になり、その後その終焉迄の28年間その中でも特に前半の10年間は”やっちゃん”にとってNDT無しには考えられない青春時代でした、この昭和28年は朝鮮戦争の特需により戦後の経済が発展期に入りNDTも戦後の混乱期を経て春・夏・秋の三大踊りが定着して公演される様に成り、”やっちゃん”自身も勉学の為上京して3年目を向かえ東京での生活にも慣れて来た時期に当ります。

 娯楽の少なかった当時日劇に入れば其処には夢の有る世界で・・・その後の経過は本文に記載して来た通りです。

 ”やっちゃん”のコンピュ−タ-暦は昭和55年の項に記しましたがインターネットに興味を持ったのは定年に成った10年前にMacの当時新型のコンピュ−タ-を購入した時からです、当時は一般の電話回線を使用して居たために速度・容量共に不足でメ−ルをして居た程度でしたが、平成16年の4月今度はFMVのコンピュ−タ-を買うと同時にADSL回線でインターネットサ−フィンを楽しむ様になりました。

 そこで日劇ダンシングチーム・日本劇場・NDT等で検索しても他の宝塚・OSK・SKD等のサイトは多く観掛けましたが、あの娯楽の殿堂と云われた日劇特にNDTに関する本格的なサイトが観渡らないので昔の資料を無駄にしない為にもと思い4ヶ月の準備期間の後平成16年夏よりこのホ−ムページを立ち上げ丁度丸1年後の今漸く完成に成りましたが此れからも暫時改定して行く心算ですので今後も宜しくお願い致します。

「リンクのお願い」
 このホ-ムページではNDTの団員・スタッフを始め日劇に出演されたゲストの方々のwebサイトに多数リンクを張らせて頂いて居りますが、もしも不都合で
(リンク禁止)の場合にはご連絡くだされば直ちに取りやめます,又リンクを張らせて頂いて居る相手先のサイトの都合で中止になって居る事も有り表示出来ない時もありご了承下さい。

 又相互のリンクをご希望があれば喜んでお受け致しますので次ぎのアドレス(miltuchan@hotmail.com)までご連絡をお願いします。

  このホ-ムペ-ジに関するご意見や感想はmiltuchan@hotmail.comまでお願いします。

'05/06/10 初版
'05/07/24 改定
'06/03/25 改定

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