第3部

昭和40年

×「新春スタ−・パレ−ド」10景-(01/01〜06)


B5サイズ  全16P 


日劇友の会」誌 NO42号より

日劇レビュ−史341p
日劇MH正月公演出演

立川真理 

<週刊話題> 1965年(昭和40年)2月11日号

   
浜 美枝


×「初笑い・ほんとクレ−ジ−だよ! ザ・ピ−ナッツ」11景-(01/07〜13)
B5判(261×183)16ページ。
 http://homepage.mac.com/infant/omotya/40hatu.html


日劇レビュ−史341p

同時上映映画
1965.01.03 社長忍法帖  東宝 松林宗恵
1965.01.03 侍  東宝=三船プロ 岡本喜



毎日グラフ '65.1.03&10 合併号 特集・ショー・ビジネス

主婦と生活・昭和40/1

毎日グラフ '65.1.03&10 合併号
主婦と生活・昭和40/1


×「NDT 東北・北海道公演」2部22景-(01/14〜20)



×「第25回新春ウェスタン・カ−ニバル」8景-(01/14〜21)


日劇レビュ−史341p

同時上映映画
1965.01.15 喜劇 駅前医院  東京映画 佐伯幸三

×「三田明ショー」12景-(01/29〜02/05)

同時上映映画
1965.01.31 波影  東京映画 豊田四郎
1965.01.31 続社長忍法帖  東宝 松林宗恵


「豪州公演」-(03/06〜06/08)
 豪州公演は昭和33年に続き二回目、東南アジアを除いて大規模な海外公演としては昭和33年の豪州公演と昭和36年の英国、昭和38年のニュ−ジイランドに次いで四回目の公演に出発しました、前の三公演と参加者を比べるとNDTの団員が30名と少なくその他の雑技の方々の割合が多く成って居ます、これは公演地側の希望に依ったのかも知れませんがNDTの出番も少なく成ってしまった事も窺え寂しく思います。

東宝歌舞団公演 「ト-キョ-・ナイッ」2部20景-(03/06〜06/08)
 北川信造演出

 この公演にゲストとして参加したグラモホン歌手高見アリサさんのwebサイトは
     http://www.jmdb.ne.jp/1966/cp000530.htm

奇術の島田晴夫さんのwebサイトは
     
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinkoh/newpage12.htm   



「日劇春のおどり」12景-(03/02〜04/26)


「春のおどり」一の替わりプロ表紙


 「春のおどり」は一回位は見て居るかも知れませんが殆ど記憶が有りません、これは豪州公演に上条・桜井・水谷さん等”やっちゃん”にお馴染みの方々が参加されて出演して居なかった事も一因ですがこの昭和40年は”やっちゃん”は来年春に結婚が決まったことや仕事の方も忙しく成った為です。


 この公演には「東京オリンピック」の長編記録映画が併映された為に「春のおどり」は1日2回公演と成りました。


   
   

同時上映映画
1965.03.20 東京オリンピック  東京オリンピック映画協会 総監督:市川崑
1965.04.03 赤ひげ  東宝=黒澤プロ 黒澤明
1965.04.14 こゝから始まる  東宝 坪島孝

1965.04.24 かわいい浩宮さま  毎日映画

「第25回日劇レビュ−賞」
 「日劇レビュ-史」に依ると受賞者は右の表の如くです。

下に夫々の受賞者の写真を掲載します。


左から三浦・近江・英・小村・西川純代(20)
受賞者 受賞の対象
日劇レビュ−賞 英由美(12) 弟3景「綱」・弟8景「ボンゴ・ボンゴ・コンガ」の踊り
日劇レビュ−奨励賞 西川純代(20)・小村喜一郎(15) 弟6景「宝石」・弟10景「パリの空の下」の踊り
日劇レビュ−新人賞 三浦恭子(22)・近江ツヤ子(22) 弟10景「パリの空の下」の踊り

日劇レビュ−賞受賞
英由美(12)
日劇レビュ−奨励賞受賞
西川純代(20) 小村喜一郎(15)
日劇レビュ−新人賞受賞
三浦恭子(22) 近江ツヤ子(22)

N昭和40年春NDTスタ-名観・香盤表

TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和40年-T


×
橋幸夫 ショウ」5景-
(04/24〜26)
サイズ:B5

同時上映映画
 赤ひげ 黒沢明

「”やっちゃん”韓国に出張」-(05/05〜20)
 ”やっちゃん”の二回目の海外出張は大韓民国で目的は前回と同じ技術指導と市場調査です.。
この時のパスポ−トも残って居ますが2年前の様に外務大臣の直筆のサインは無くなり、表紙も本皮から普通の紙に成りましたがその有効期限はその旅行一回限りと同じです。

 又当時はまだ外貨の海外えの持ち出しが制限されていた時代で一日に付き$25で二十日間の申請で$500(為替レ−ト$1=¥366でで$500=¥18.3000)が認められ日本円の持ち出しも一人一回に付き¥20.000迄と制限されて居たようです、
 羽田ソウル間の往復航空運賃は$128.90=¥46.450の記録が残っていますが今と比較して如何でしょうか?。


 旅行に持参するガイドブック等は当時韓国のものは何も無く紀伊国屋書店で韓国全土の地図を手に入れるのがやっとでした。
 
韓国慶州の佛国寺
慶州の佛国寺

 仕事の方はソウル市内のお得意さんを回りその後は各地の得意先に寄りながら釜山迄車で移動しました高速道路もまだ整備されていないので大変でしたが、途中慶州観光を一日する事も出来ました(上記写真)、釜山からは国内線の飛行機でソウル迄戻り、帰りがけにはソウル郊外のウオ−カ-ヒルのクラブに招待され16日間の旅を終えています。
 当時の韓国は未だ経済発展の前でソウルは盆地で周囲の山は禿げ山が多く中央の高台にある公園から見るとその斜面にバラッックの掘っ立て小屋の群れが山頂まで立ち並んで見える状態でした。


×「チエミ大いに歌う!」5景-(05/18〜24)

出演:江利チエミ、中野ブラザース、フランク赤木、ハニー・ナイツ、宝田明、宮間利之とニュー・ハード、NDT

 大変スマートで、いわゆるクロウト受けするショーだった。同時にチエミのタフさ加減とサービス精神の旺盛さを感じさせられた。この種のショーにありがちな冗漫な司会者の歯の浮くような美辞麗句もなく、代ってチエミ自身の飾らないお喋りと、鮮やかなショーマン・シップでどんどん運んで行く手法もスマートなら、ゴテゴテ舞台を飾ったり、どうでもいいようなゲストをぞろぞろ並べたりする愚かさを避けた構成・演出も、チエミ自身のカラーにぴったり合って成功した。

 低俗化の一途を辿っていた日劇の中間短期ショーだが、久々にスカッと清涼剤を飲んだ心地だった。思い出のヒット・メドレーから、芸者姿で民謡を謡い、さらに一転してゲストの宝田明、中野ブラザース、ハニー・ナイツらとミュージカル・ナンバーを歌いまくったハッスルぶり。その楽しんでいる感情がそのまま素直に客席に伝わっていいムードであった。チエミ側の希望(?)とかで1日2回公演だったが、それだからこそ出演者もハッスル出来たのだろう。3回公演でくたびれた員数だけの舞台を見せられるよりどれ程よかったことか。演奏は宮間利之とニュー・ハード。歯切れのいい演奏が快かった。

同時上映映画
1965.05.16 最後の審判  東京映画 堀川弘通
1965.05.16 風来忍法帖  宝塚映画 川崎徹広

×「歌う ザ・ピ−ナッツ」8景-(05/28〜06/03)
 http://homepage.mac.com/infant/omotya/6thpea.html

<出演者>

ザ・ピーナッツ
   伊藤エミ
   伊藤ユミ
---------------
鹿内  タカシ
  ・
尾藤  イザオ
  ・
東京音楽学院
スクール・メイツ                     
  ・
槙   みちる
恵   とも子
--------------
千 葉 信 男  
  ・
左   とん平
EH・エリック
  ・
南   利 明
--------------
ジャッキー吉川と
  ブルー・コメッツ

スマイリー小原と
  スカイ・ライナーズ
--------------
日劇ダンシングチーム
--------------
日劇オーケストラ
  指揮:多 忠修

<スタッフ>

構成演出---塚 田   茂
振  付----小井戸  秀宅
     ----
高 木   翌
音  楽----宮 川   泰
     ----森岡  賢一郎
装  置----
小 林 雍 夫
衣  装----小 磯 豊 治

照  明----長   敏 雄
舞台監督---広 田 博 行
----------------------
制  作----池 田 豊 和
制作 補----宇 田 良 弼

同時上映映画
1965.05.29 日本一のゴマすり男  東宝 古沢憲吾
1965.05.29 姿三四郎  宝塚映画=黒澤プロ 内川清一郎



×
【畠山みどりショ−】8景-(06/04〜10)


日劇初出演スナップ 
 


×【二宮ゆき子ショ−】12景-(06/25〜07/01)
  台本

   


×【日劇 ハワイアン・ハイライト】10景-(07/02〜08)
 NDTはこの公演には「夏のおどり」稽古のため出演して居りません、又この公演は観て居ないので「日劇レビュ−史」の資料を掲載します。
    南かおるhttp://www.co-cfc.co.jp/detail.msp?id=1329


日劇 ハワイアン・ハイライト】のプロ表紙 

左:中島潤・石川進尾崎紀代彦 右:平凡太郎南かおる大橋節夫ジョ−ジ山下
<出演者>

中島 潤
大橋節夫

尾崎紀代彦
ジョ−ジ山下
景山ひろ子
石川 進
平凡太郎
南かおるとワイキキ・フラグル−プ









NDTは「夏のおどり」稽古の為休演

同時上映映画
1965.06.20 おれについてこい!  東宝=渡辺プロ 堀川弘通
1965.07.03 ブワナ・トシの歌  東京映画=昭和映画 羽仁進


「エイト・ポピ−ズ」結成
 昭和36年のキュ-ティ・フォアが結成されて間もなく総てのチ−ムが自然消滅して居ましたが、「夏のおどり」に向けてここに来てやっと新チ−ムが37年入団の20期以下のフレッシュな若手で結成されました、このチームは昭和30年代のポンポン・シックスの系統に相当するもので小柄ながらチャ-ミングな人達です。

 田島・大石さんは昭和38年春清水谷公園の「友の会撮影会」で写真を撮って居ます、後の方は皆始めてですが近江・大西さんは昭和56年春の最後のNDT解散まで頑張って活躍され、近江・三浦さんはこの春のおどりで日劇レビュー新人賞を受賞し後にスターとして売り出された方達です。

田沼繁子(20) 大西冨美子(20) 田島章子(20) 大石陽子(20)
高田晶子(21) 宇津木恵美子(21) 近江ツヤ子(22) 三浦恭子(22)
期別 団員名
20 田沼繁子・大西冨美子・田島章子・大石陽子
21 高田晶子・宇津木恵美子
22 近江ツヤ子・三浦恭子
夏のおどりミンストレル・ショウのエイト・ポピ-ズ
「夏のおどり」フィナ-レ「ミンストレル」のエイト・ポピーズ


「日劇夏のおどり」12景-(07/11〜08/20)
 この「夏のおどり」は昭和38年「秋のおどり」と同様にラジオで放送された録音テ−プが残っています、これに依るとオ−ストラリア公演がビ−トルズを凌ぐ好評で日延べの為に帰国が遅れ例年より10日遅れての開幕で開幕はタチヒの景で新鋭の河本芳子が「夏を踊ろうスイング」と唄い白い腰蓑姿で重山規子さんが踊り次いで椰子の茂れるジャングルの奥ではミサイル・アダジオと向井十九・奈加英夫のジョリィ・ガイのアクロバットダンスが、続いて濃い緑の中でリイズム楽器の音に合わせて踊るのは重山・横田・英・立川さんの四人が中心で、歌は河本・馬場さんの「太陽のクンビア」、続く藤井輝子さんの唄う「輝く太陽」で群舞となります。
 次はこのショウのゲスト歌手松島トモ子さんが厳しいレッスンを受けて帰国しその留学生活を続る「ニュ−ヨ-ク一人ぼっち」を黄色のワンピ−ス姿で唄い「ブロ-ドウエイの舗道」を踊り、ステ-ジ・ドアを開けると中では上条美砂保さんの「ゴッタ・ム-ン」の歌が聞こえて来ます、再び元の場面に転換「ハロ-ドゥリ-」を松島さんが唄い踊ります。

 ニュ−ヨ-ク一から一転日本の古き時代に変わり「蛇崩縁起」では無形文化財の「山城神楽」の舞に出て来る全長18メ−トルの大蛇(この大蛇の舞は記憶に残っています)を相手に一人の若者が水不足の為に水門を開けようとして殺されその恋人に扮した英由美さんが悲しく舞います、これは聴いて居るには少々長すぎますが。

 次は一転上条さんが「ザ・クカラチャ」を陽気に唄い立川さんが羽鳥さんと組んで激しく踊り明かします、この音楽は可也長く続きますが聴い居て今でも心が浮き立つて来る様で「ハロ-ド-リ-」と共に、この時代の日劇の音楽(音楽担当-広瀬健次郎?)を代表するものでは無いかと思いいます。
 

 残念ながら録音は此処までしか在りませんが、この後フィナ-レの「ミンストレル・ショウ」でエイト・ポピーズ(ケシの花)が赤い衣装に赤の網タイツ頭にも赤い羽根を着けて踊りました,”やlちゃん”はこのショウは2回程見ています

 尚このショウのゲスト歌手松島トモ子さんのwebサイトは
  http://www.kouenirai.com/profile/736.htm
  http://www.umi-net.toba.mie.jp/kikanshi/aquarium/tsa32wi/tikyu9.html
  http://movie.goo.ne.jp/cast/107534/


「夏のおどり」一の替わりプロ表紙










 

同時上映映画
1965.06.19 太平洋奇跡の作戦 キスカ  東宝 丸山誠治
1965.07.25 四谷怪談  東京映画 豊田四郎
1965.07.25 狸の大将  東宝 山本嘉次郎
1965.08.08 フランケンシュタイン対地底怪獣  東宝=ベネディクト・プロ 本多猪四郎
1965.08.08 海の若大将  宝塚映画 古沢憲吾

「夏のおどり」のCD
 この録音テ−プは貴重なので現在上条美砂保さんのヒット四曲と一緒にCDに焼いて保存して居ます,CDの内容全部はメモリの関係で公開するのが不可能なので曲目は順次入れ替えて行くつもりです、今回は*印の「太陽のクンビア」と「ザ・クカラチャ」の2曲ですが次回には印の2曲に入れ替える予定ですので聴いて下さい。

 昭和40年音楽のぺ―ジTOPぺ−ジ会員専用ページより



昭和40年夏のおどりのCD
昭和40年「夏のおどり」のCD
上条美砂保さんのヒット四曲
  シーシ-ノ-ノ-
  恋人達のセガ
  杏の花のひとりごと
  39度の恋
昭和40年「日劇夏のおどり
 「夏を踊ろうスイング」-河本芳子
 *「太陽のクンビア」-河本芳子・馬場紀邦
 
「輝く太陽」-藤井輝子
  「ニュ−ヨ-ク一人ぼっち」-松島トモ子
 「ゴッタ・ム-ン」-上条美砂保
  「ハロ-ドゥリ-」-松島トモ子
 
*「ザ・クカラチャ」-上条美砂保・馬場紀邦

「第26回日劇レビュ−賞」
 
「ザ・クカラチャ」及び「ゴッタ・ム-ン」の歌に依って上条さんは三回目の日劇レビュー賞を、立川さんは「ザ・クカラチャ」の踊りでレビュ−新人賞を受賞しています。

 この「夏のおどり」のレビュ-賞の記載が「日劇レビュ-史」には記載が有りませんでしたが、ラジオで放送された録音テ−プの中で右のお二人が受賞される事が放送されて居ます。
日劇レビュ−賞受賞 日劇レビュ−新人賞受賞
上条美砂保(10) 立川真理(13)

N昭和40年夏NDTスタ-名観・香盤表

TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和40年-U

<週刊文春> 1965年(昭和40年)7月19日号

 
藤井輝子 
 


×「第27回新春ウェスタン・カ−ニバル」8景-(08/28〜09/03)
◆内田裕也、中尾エミ、尾藤イサオ、鹿内タカシ、フランツ・フリーデル、シャープ・ホークス、クッキーズ、ザ・スカーレット、ジャニーズ、寺内タケシとブルー・ジーンズ、ブルー・エース、ブルー・コメッツ、他。

     


<週刊朝日> 1965年(昭和40年)9月10日号

<週刊朝日> 1965年(昭和40年)9月10日号

◎カラーグラビア:甲子園優勝、三池工のパレード(3P)

◎読み物・記事:
*<対談>荒垣秀雄×ゲスト:日劇ダンシングチーム 上条美佐保(4P)
*新日本名所案内「長崎」〜 大佛次郎(4P)
*「表紙の人」弘田三枝子 〜 ジャズとCMにハッスルする18娘(2P)



×
「西郷輝彦と共に」15景
-(09/22〜29)



 


http://f58.aaa.livedoor.jp/~kiiuroo/saigou=rtotomoni-1965-9.htm


公演ポスタ―

第14景で「彼女は僕好み」を歌う 踊りはレ・バビョン

同時上映映画
1965.09.18 喜劇 各駅停車  東京映画 井上和
1965.09.18 血と砂  東宝=三船プロ 岡本喜八


別冊「近代映画」11月号「西郷輝彦デラックス特別号」
http://f37.aaa.livedoor.jp/~kijikk/saigou-deraltukusu-1.htm


「西郷輝彦と共に」の看板を掲げた日劇

第1景で「涙をありがとう」を歌う

「NDT24期生入団」・・・23&24期生全員の顔写真はN昭和40年秋NDTスタ-名観・香盤表を参照
 この「秋のおどり」の前にNDT24期生39名(女性32名・男性7名)が入団しました、この中ではNDTの解散時まで残り西川純代(20期)・近江ツヤ子(22期)さんと共にスタ-として活躍された新倉まり子さんがおります、退団後もミュ-ジカル「ラ・マンチャの男」・「アニ-」等で活躍されました。
 関連するwebサイトは
   http://www.ishikawa-bin.com/news2002/news2004-1.html・・・1/23の項参照
 新倉まり子さんに就いて平成17年10月27日付けの週間新潮にマツケンサンバの松平健氏の結婚の記事で松平健氏が未だ売り出し前の昭和40年代後半から50年代に架けて姉さん女房として世話を焼く仲で有ったが松平健氏が宝塚の大地真央さんと結婚するに至り自ら身を引いた記事が掲載されて居ます、尚新倉まり子さんは平成7年5月直腸癌で永眠されて居ります。

   http://193.to/d/?i1031・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2004/12/15の項参照

 この他24期から後に連名スタ−入りしたのは岩間文子と前新和則さんです。
新倉まり子(24) 岩間文子(24) 前新和則(24)



「日劇秋のおどり」4部5景-(10/01〜11/16)・(11/17〜12/03)NDT創立30周年記念公演
 NDT創立30周年記念公演であり「夏のおどり」の公演日数が40日と少なかった為かこの「秋のおどり」は2ヶ月を越えての長期公演となりました。
「日劇レビュ−史」には公演期間は12/09日迄と記載されていますが、「日劇友の会」誌No43号に依ると「秋のおどり」は12/03日迄で12/04〜10日の一週間は「魅惑の歌声「バ−ブ佐竹ショウ」が公演されて居ます、この公演の記載記録は「日劇レビュ−史」には有りません。

 この「秋のおどり」は一回位は見ていると思います、記憶は殆ど有りませんがこのショウで昭和38年の「秋のおどり」で唄われた「日劇賛歌」が再び唄われたのでは無いかと思います(「日劇レビュ-史」にも40年代に唄われたとの記述あり-p86・・・
此れは歌われて居ませんでした、下記主題歌参照・・・'06/1/23訂正)、それは構成演出者が北川信造さんと同じでしかも両方共に記念公演ですから。


一の替わり「秋のおどり」プログラムの表紙
(10/01〜11/16)
藤井輝子・水谷良重・上条美佐保さん  

二の替わり「秋のおどり」プログラムの表紙
(11/17〜12/03)
藤井輝子・河本芳子・上条美佐保さん  

左ぺ−ジ:ミサイルアダジオ・上条美佐保・重山規子・奈加英夫・向井十九・河本芳子・藤井輝子
右ぺ−ジ:清水秀男・水谷良重・金須宏・羽鳥雅一・天井健二・てんぷくトリオ


「秋のおどり」主題歌- カトレア・シスタ−ズ


「こまどり姉妹ショ−」-(39/9/10〜16)
の看板を掲げた日劇

「エイト・ポピ−ズ」新編成



 夏に結成されたエイト・ポピ−ズは田沼繁子(20)・高田晶子(21)さんの2名が退団した為にこの「秋のおどり」では進藤禎子(21)・渡部玲子(23)さんが新加入し「カルナバ−レ」で大活躍して居ます。

 
進藤禎子さん
進藤禎子(21)

渡部玲子(23)

「カトレア・シスタ−ズ」新編成

第1部 幻想 プロロ−グ
主題歌
唄:天井健二
カトレア・シスタ−ズ


 昭和38年秋に結成された第二次カトレア・シスタ−ズも本間紀子さんが退団した為に今年の春・夏は休止して居ましたがこの「秋のおどり」では二人のみで再登場しました。

 NDTのチ−ムも上記の「エイト・ポピ−ズ」とこの「カトレア・シスタ−ズ」2チ−ムのみと成って居ます。

桜ひさ子(21)

山城伸恵(21?)


「日劇ダンシングチ−ム30年記念パ−ティ」-(09/27)
日時:9月27日
場所:第一ホテル
日劇友の会」誌 NO43号より 右下記事参照下さい。


前列左から:?・金子薫子・英由美・藤井輝子・?・?・重山規子・上条美佐保・和歌みつる

「秋のおどり」演目香盤表
 この公演の内容は余り思い出すことが出来ません、最近プログラムを入手しましたので下に公開します。
 又この公演のN昭和40年秋 NDTスター名鑑を別ぺ−ジに作ましたので御覧下さい。

同時上映映画
1965.10.23 悪の階段  東宝 鈴木英夫
1965.10.31 大冒険  東宝=渡辺プロ 古沢憲吾
1965.10.31 喜劇 駅前大学  東京映画 佐伯幸三
1965.11.21 悪党  東京映画=近代映画協会 新藤兼人
1965.11.21 あんま太平記  東京映画 佐伯幸三

植木等主演の「大冒険」は観た記憶があります。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/crazy/movie.html
  

「日劇友の会」
 この「秋のおどり」のプロに上記の如く「日劇友の会」会員募集の広告が載って居ます、"yachan"は昨年春に脱会して仕舞ましたが、この広告と以前の広告(昭和36年の「日劇ビック・パレ−ド」のプロ)を比較してみて目を引くのは「撮影会」の項目と「夏のおどり」への招待が無くなって居る様でやや活動が一時程では無くなったのか?と思われます(訂正:「大おどり」への招待は6ヶ月に1回あり・・・会報NO43)。

「日劇友の会」誌NO43号より

 


注):秋の新人女子12名と有りますがこの他声楽専科の三谷麻利子が入団、24期生の女子は13名です。
新聞記事
 

「第27回日劇レビュ−賞」
 「日劇レビュ-史」に依ると受賞者は右の表の如くです。

下に夫々の受賞者の写真を掲載します。






受賞者 受賞の対象
日劇レビュ−賞 金子薫子(8) 「酔っぱらいバンザイ」のかっ払いの少年の踊り
英由美(12) 「南国のミステリ-」の女主人と旅行者の妻の踊り
日劇レビュ−奨励賞 橘田紀(15) 「洞窟の魔女」の魔女の踊り
西川純代(20) 「カルネパ-レ」のモダンバレ-
日劇レビュ−新人賞 二条奈津江(23) 「ジプシ-エア-ズ」のアダジオ
山崎静江(23) 「カルネパ-レ」の馬のラインダンス


日劇レビュ−賞受賞
金子薫子(8) 英由美(12)
日劇レビュ−奨励賞受賞
橘田紀(15) 西川純代(20)
日劇レビュ−新人賞受賞
二条奈津江(23 山崎静江(23)

N昭和40年秋NDTスタ-名観・香盤表

TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和40年-V


平凡パンチ1965.12.20

女:英 由美(日劇ダンシングチーム) 3P



×ジャニーズ・ショウ」6景-(12/22〜24)
 A4サイズ 表紙含め12ページ 日本劇場
出演:グループサウンズ青井輝彦/飯野おさみ/中谷良/真家ひろみいしだあゆみ/木の実ナナジャッキー吉川とブルーコメッツ


   

同時上映映画:ゴジラ/キングギドラ/ラドン 東宝特撮/円谷英二


「経済成長の一時低迷」
 この昭和40年は昭和31年の経済白書に”もはや戦後ではない”と書かれ30年代の始めから神武・岩戸・オリンピック景気と続いた戦後の好景気も東京オリンピック終了と共に一時低迷した年でNDTの「三大おどり」も余りパッとしたショウが見られ無かった年です、ただ「エイト・ポピ-ズ」が新結成された事が救いで、翌年から昭和45年まで続いた”いざなぎ景気”によりNDTの入団者25〜29期も一時的には増加して(戦後の第1次べビ-ブウムも影響か?)昭和46年頃まではある程度の盛況を保つ事が出来ました。

  神武・岩戸・オリンピック景気に就いては次のサイトを参照下さい。
    http://www.geocities.jp/michio_nozawa/gendai5.html
    http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je92/wp-je92san-36_1h-a.html
    http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je92/wp-je92san-40_1h-a.html



'05/01/01 初版
'05/06/05 改定1
'06/11/04 改定2
'08/09/15 改定3

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