昭和47年
×「ザ・ドリフタ−ズ・ショ−・全員集合」8景-(01/08〜14)
×「第46回日劇新春ウエスタン・カ−二バル」-(01/15〜22)
出演:PYG・フォーリ−ブス・ロック・パイロット・リッキー・シェイン・・ジュークボックス・ZOO・ハイ・ソサィティ・永田栄二・郷ひろみ・伊丹幸男・スクール・メイツ、 写真を含む10ページのパンフレットです。
サンデ-毎日?郷ひろみ
フォーリ−ブス:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%82%B9
PYG:http://ja.wikipedia.org/wiki/PYG
1972.01.15 座頭市御用旅 東宝=勝プロ 森一生
×「美空ひばり特別公演 歌声はひばりと共に」9景-(01/23〜31)
×「布施明 ショー 何故ー雨の御堂筋」6景-(02/01〜07)
出演:布施明・欧陽菲菲・左とん平・NDTほか
1972.02.05 その人は炎のように 東宝 出目昌伸
×「石橋正次 ショー」全2部-(02/15〜21)
×「都はるみショ−」12景-(02/22〜28)
同時上映映画
1972.02.26 百万人の大合唱 近代放映 須川栄三
1972.02.26 制服の胸のここには 東宝 渡辺邦彦
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「日劇ダンシングチ−ム研究生募集」
上の「日劇春のおどり」のチラシに日劇ダンシングチ−ム研究生(NDT31期生)募集が3月12日午前10時より行われる旨の広告が載って居ます。
この年の応募者は昨年の80名より更に減少し男子22・女子41・合計63名に過ぎませんでした。
NDT31期生応募者審査風景 |
「日劇春のおどり」13景-(03/01〜04/27)
チラシ:3つ折 サイズ約21cmx30cm
チラシ表 |
チラシ裏 |
チラシ表 |
チラシ裏 |
ゲストに水谷良重を迎えての「春のおどり」は前半第1景〜3景までが「京の春」「花の武者」「仰春うるまの島」と続く和物で、第4景のお笑いを経て第5景「ヤング・ラバ-ズ’72」は鹿島知子以下男性7名・女性24名でのセントルイスブルースではロックのリイズムが日劇らしさが良く出ていました、次の第6景「サイモンとガ-ファンクルの世界」の西川純代さんのバレーは男性3人(古沢・真島・前新)を従えて何時見ても素晴らしいものでした、西川さんはその他では第11景「恍惚のリズム」で神崎さんとのコンビでラベルの(ボレロ)が目を引きました。
「日劇春のおどり」プログラムの表紙 →*春のおどりのデモストレ-ション |
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同時上映映画
1972.02.26 百万人の大合唱 近代放映 須川栄三 (〜03/07)
1972.02.26 制服の胸のここには 東宝 渡辺邦彦 (03/08〜14)
1972.02.26 天王皇后陛下 ヨーロッパご訪問の旅 毎日映画 安保久武 (03/01〜14)
1972.03.12 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン 東宝 福田純 (03/15〜31)
1972.03.12 軍旗はためく下に 東宝=新星映画 深作欣二
1972.04.05 ヘアピン・サーカス 東京映画 西村潔
1972.04.05 薔薇の標的 東京映画 西村潔
1972.04.22 子連れ狼 三途の川の乳母車 勝プロ 三隅研次
1972.04.22 新兵隊やくざ 火線 勝プロ 増村保造
「春のおどり」のフィナ−レ第13景「スプリング・キャバルケイド」の冒頭「チビチビ天国」に唄える新チーム(ラブリ−シスターズ)として25期の4名(連名の杉山葉子・西川三知代さんの2名と中村千恵子・堀部信子が抜擢され)が登場しましたが、このチームは「春のおどり」限りで以後の大おどりにはこの4名は在籍していますが登場する事も無く自然消滅してしまった様です、ただ翌年昭和48年「春のおどり」のオープニングのコ-ラスには登場しましたがラブリ-シスターズの名称は有りませんでした。 昨年春結成されたチャ−ミング・メッツも同じですが、この時期の団員の起用にはその場限りの安易さが伺えNDTの製作者側に長期の方針が無くなって来て居る様です。 |
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「エイト・ポピーズとトッピイング・ド−ル」
エイト・ポピーズとトッピイング・ド−ルは脱落者も無く昨年の秋のメンバ−で「春のおどり」ではエイト・ポピーズは第9景の「いかすぜ!良重」と第13景「スプリング・キャバルケイド」に、トッピイング・ド−ルは第1景「京の春」の小町姫(杉山葉子)と第7景「春のフォ-リーズ」の(ビンビンバン-鹿島とも子)と、第13景の日本人(2)に夫々出演していますが殆ど記憶して居ません。
松本香代子・和歌都・埴岡導子・黒川洋子・藤和子・田中隆子・白石洋子・手嶋啓 | 相田悦子・松岡蘭子・山本美枝子・大野知子(前)左近陽子・横山由利子 |
→*第7景「春のフォ−リーズ」 | →第5景{ヤング・ラバ−ズ’72」中央鹿島とも子さん |
「春のおどり]のNDT陣容
「春のおどり」のNDTの団員構成は女性56名(内連名以上8名-橘田紀さんは休演)・男性19名(内連名以上8名)・合計で75名でした、別ぺ−ジにF昭和47年春のNDTNDTスタ−名鑑及び香盤表を作りましたので御覧下さい。
「秋元京子(26)・古沢勇(18)さん退団」
「春のおどり」を終えてのスタ-級の退団者は女性では秋元京子(26)さんで、秋元さんは退団後にテレビに転じTBSの「走れケ-100」(’73/4/13〜74/3/29放映)で寿司屋のお手伝い”のぶ”役で出演されて居ます。(“おかみさん”のお供をして紋太を追う、実はこの機に乗じて紋太を応援しながら日本縦断旅行をするのが目的、 後半シリーズではヒロインに昇格し、バイトをしながら紋太を追って旅する。35話で突然帰郷-以上webより)。・・・このテレビ放送は”やっちゃん”も見掛けた記憶があります。
又男性は古沢勇さんで古沢さんは退団後ミュ−ジカルの舞台で活躍されて居た様です。
「エイト・ポピーズ・トッピイング・ド−ル解散」
エイト・ポピーズは手嶋啓さん・トッピイング・ド−ルは山本美枝子・大野知子・左近陽子さんの3名が退団して仕舞い、後の補充要員も団員の減少で見当たらず、この2チームもこの「春のおどり」を最後に解散しました、エイト・ポピーズは40年夏の第1次・44年の第2次を経て満7年この間に第1次17名・第2次18名合計35名の団員が参加し、トッピイング・ド−ルは41年年秋に第1次・45年夏に第2次を経て6年間この間第1次14名・第2次11名合計25名の団員が参加しましたが、この2チームの解散に依りNDTにはダンス専門のチームが無くなり残るはコ−ラスチームのヤングラバ−のみと成って仕舞いました。
NNDTの各チームの年代に依る構成人員に就いて一覧表(昭和40年代)を別ぺ−ジに作りましたので御覧下さい。
N昭和47年春NDTスタ-名観・香盤表
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和47年-T
週刊ポスト1972年4月21日号 小牧英子水着
×「森進一 ショー 明日に向かって」6景-(04/28〜05/05)
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1972.04.22 子連れ狼 三途の川の乳母車 勝プロ 三隅研次
金メダルへのターン!
http://209.85.175.104/search?q=cache:AM94MHvAk0QJ:taiga.hp.infoseek.co.jp/keijibanrog09.html+%E6%A3%AE%E7%94%B0%E6%95%8F%E5%AD%90&hl=ja&ct=clnk&cd=27
お詫びという訳ではありませんが「金メダルへのターン!」に出演していた森田敏子さんの婚約の 記事が書かれた昭和47年5月の週間明星がありましたので記事を抜粋します。
”もとNDT(日劇)のトップダンサーで人気スターだった森田敏子が、将来日舞安藤流分家の家元
になる池田二三夫氏との婚約を公けにした。2人の交際は4年ほど前からだが、4月15日、池田氏
が初リサイタルを開いたのを機に婚約した。池田氏は粋な三味線で高座の花だった故・柳家三亀松
師匠の次男、10歳ごろから日舞に精進していた。(以下略)”。
森田さんは25歳、池田さんは27歳で2人をとりもったのは元ジャニーズの飯野おさみさんだそうです。
また、森田さんは”一昨年夏、惜しまれながら引退。いまはCMで活躍中”とも書かれているので、
NDTをやめてすぐに「金メダルへのターン!」に出演されたようです。
×「第47回日劇ウエスタン・カ−二バル」-(05/06〜12)
出演:「PYG」が掲載されています、タイガース、テンプターズ、スパイダースの解散後、沢田研二と萩原健一が参加したバンド「PYG」です。
1972.04.22 新兵隊やくざ 火線 勝プロ 増村保造
×「小柳ルミコショ−・ 瀬戸の花嫁」7景-(05/27〜06/02)
×「騎士 にしきのあきら」10景-(06/10〜16)
1972.06.10 無宿人御子神の丈吉 牙は引き裂いた 東京映画 池広一夫
×「小林旭大いに歌う1」7景-(06/17〜23)
「阿世知守さん連名入り」 スターの秋元・古沢さんが退団し「夏のおどり」に向けてNDTでは久々に唄える男性の29期の阿世知守(後にあぜち守に改名)さんが連名入りをしました。 あぜち守(56)さんは「NHKのみんなの歌」にも出演されました、そのwebサイトは *http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/utakan/others/LP-K200.htm 収録その4 第2面 「光る夏の歌」の項 |
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「夏のおどり]のNDT陣容
女性陣では春をお休みした橘さんが復帰ましたが一般団員は女性が48名から13名減の35名に、男性は11名から4名減(但し阿世知さんが昇格したので実際は3名減)の7名に男女合わせて16名に登る退団者が出ました。
これで「夏のおどり」を前にした団員構成は女性43名(内連名以上8名)・男性15名(内連名以上8名)合計58名の過って無いこの小人数で「夏のおどり」を迎える事に成りました。
「日劇夏のおどり」10景-(06/28〜07/26)-(08/01〜25)
(7/27〜31)の5日間は「阿波おどり」が開催され[「夏のおどり」はお休みに成りました。
この「夏のおどり」のゲストは、歌手ではないダンスの得意な金井克子さんで第8景「金井克子・ON・STAGE」のダンスと、NDTでは第9景「バレ-・イン・アリア」のバッハ(G線上のアリア)の曲に乗って踊る西川さんのバレ-以外では、第3景「ビバ!ラテン」・第6景鹿島とも子の「ハリウッド・メロディ-を唄う」・フィナ-レの第10景「NOW!ロック・ス-パースータ-」の何れもが目新しいものは見られませんでした。
「日劇夏のおどり」プログラムの表紙 →西川純代さん |
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一の替わり:金井克子 チラシ
二の替わり:高田恭子 | |
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N昭和47年夏NDTスタ−名鑑・香盤表
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和47年-U
「橘田紀さん退団」
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演劇雑誌「東宝」9月号
表紙:鹿島とも子 日劇夏のおどり
その他はこの「日劇夏のおどり」プログラムの中の次の記事をお読み下さい。
×「阿波おどり」3部-(7/27〜31)
×「第48回日劇ウエスタン・カ−二バル」7景-(08/26〜09/01)
チラシ
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×「変身山本リンダ」8景-(09/02〜04)
公演チラシ表 |
公演チラシ裏 |
★山本リンダ/狂わせたいの★オンステージ★72年日本劇場★
キャニオン/C-3012。●1972年9月3日、東京日本劇場にて収録。演奏:ダン池田とニューブリード。○「どうにもとまらない」「もっといことないの」「」こまっちゃうな「小さな竹の橋」「雨にぬれても」「マシュ・ケ・ナダ」「ミッシェル」「オー・シャンゼリゼ」「夜のメロディー」「アル・ディ・ラ」「アリラン」「さくら」「奴さん」「おてもやん」「北海盆唄」「狂わせたい..
レコード番号:C−3012 発売年:1972年 |
1972.09.02 子連れ狼 死に風に向う乳母車 勝プロ 三隅研次
×「艶歌.水前寺清子」8景-(09/08〜15)
×「西郷輝彦オン・ステ−ジ」3部-(09/16〜22)
全三部で構成されステージは中野ブラザース作られているゲストは大信田礼子:NDT
この頃はヒット曲は聞かれなく歌ったのは「真夏のあらし」だけでした・
同時上映座頭市といえば大映なのに・・・?
同時上映映画
1972.09.02 座頭市物語 折れた杖 勝プロ 勝新太郎
「NDT31期生入団」
今年の春募集したNDT31期生22名(女性15名・男性7名-秋のプログラムに載って居る人員)が入団しました、募集に集まった人数は女子41名・男子22名合計63名に過ぎずこの中からの合格者は女性25名・男性6名となって居ますが実祭に舞台を踏んだのは女性15名(10名脱落)・男性7名(1名追加)と成って居ます。
「秋のおどり]のNDT陣容
この結果「秋のおどり」のNDTの人員構成は女性52名(内連名以上9名、出演の藤井・重山さん含む)ですが新入団の15名を差し引くと35名で、夏の43名より8名減でこの内スター級では15期生の橘田記さんが退団し、元エイト・ポピーズの和歌都さん・元トッピイング・ド−ルの相田悦子・横山由利子さんも退団しました。
男性は24名(内連名以上9名)で新入団員7名を差し引くと17名で夏の15名に休演して居た磯貝・根本さんを加えるとその数は変わらず17名で男女合計76名ですが3年以上舞台経験の有る27期以上の団員は女性21名・男性11名合計32名で半数以下と成り特に女性団員の量質共に悪化して来て居ます。
鹿島とも子雑誌グラビアぺ−ジに紹介
「PocketパンチOh!」 昭和47年10月号
「日劇秋のおどり」15景-東宝創立40周年記念公演(10/01〜11/16)-11/2日休館
東宝創立40周年記念公演のサブタイトルの付いたこのショウには久々に重山規子・藤井輝子さんの両名が揃って出演されました、重山さんは昭和44年夏から3年ぶり・藤井さんは昨年の秋から1年ぶりでした。
然しその内容は前半の第1景「ブル-スカイ・東北」に始まり第2景「青森」・第3景「山形」・第4景「福島」・第5景「岩手」・第6景「宮城」・第7景「秋田」と東北六県の民謡めぐりは過去に何度も使い古した手法で振付・音楽共に新味の無いものでした、続く第9景の「中国片鱗」は日劇として中国舞踊は珍しく西川・真島のコンビでこのショウの中では一番充実して見せました。
その他では第12景の「コ-ル・ポータ-賛歌」の(ビギン・ザ・ビギン)が過っての再演で懐かしく、第14景「ヤング・ラバ-ズ・サンレモを唄う」とフィナ-レの第15景「リタ-ン!ロックン・ロ-ル」は過っての焼き直しに過ぎない気がしました。
「日劇秋のおどり」プログラムの表紙(鹿島・西川・近江さん) →重山規子さん |
鹿島・西川・藤井・南原(ゲスト)・重山・神崎・近江さん |
二の替わりパンプ |
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同時上映映画
1972.09.02 恋の夏 東宝映画 恩地日出夫 (10/01〜09)
1972.10.10 影狩り ほえろ大砲 石原プロ 舛田利雄 (10/10〜20)
1972.10.10 無宿人御子神の丈吉 川風に過去は流れた 東京映画 池広一夫
1972.10.28 喜劇 泥棒大家族 天下を盗る 渡辺プロ 坪島孝
1972.10.28 にっぽん三銃士 おさらば東京の巻 東京映画 岡本喜八
N昭和47年秋NDTスタ-名観・香盤表
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和47年-V
台本
×「美空ひばり 特別公演」3部-(11/02?)
「重山規子さん退団」 |
重山規子(6)さん |
「日劇三大おどり」在籍のNDT団員数−昭和28年〜昭和52・・・56年−(附:昭和11年〜昭和27年)
この年の「春のおどり」にはダンスのチ−ムが消滅しNDTが衰退期に入り、「秋のおどり」のプロには一応団員の大募集広告も載って居ますが、応募する人数も50名以下と成り優秀な団員の獲得が困難な時期を迎えます、そこで今までに「日劇三大おどり」時に在籍したNDTの団員数を調べ別ぺ−ジにグラフとして作りましたので下をクリックして御覧下さい。 この昭和47年以降は「日劇三大おどり」に参加する団員数は80名以下となります。 N「日劇三大おどり」在籍のNDT団員数−昭和28年〜昭和52・・・56年−(附:昭和11年〜昭和27年) |
「”いざなぎ景気”も終わりNDTは?」
東京オリンピックの後昭和41年から5年間昨年まで続いた”いざなぎ景気”で毎年10%以上の実質GDP成長率が この年は4.3%に落ち込み景気の後退が響き日劇の客足が一段と落ち込み「三大おどり」の公演中平日の特に昼間の客席がガラガラの事が多く成って来ました、これは景気の後退ばかりで無く日劇のレビューの振付・音楽・装置・衣装それに時代性等レビューに欠かせない要素に斬新な企画が無くなって来た事です。
例えば振付・音楽では前に何処かで見たり聴いたりした物が平然と出てきたり、特に音楽はこの時期になってオ−ケストラの実際の演奏は半分程度に、後はテープ録音になって仕舞い、装置に就いても30年代の色々な試み(例えば簾幕が後ろに90度回転して葡萄棚に変化)での意外性が無く、衣装も予算の関係か豪華なものが無くなってしまいました。
又「春のおどり」で誕生した「ラブリ-シスターズ」もその場限りで以後の活躍なしに消滅し、その上この年の春でエイト・ポピーズとトッピイング・ド−ルが解散してしまった事は、これ等のグループに、次は誰が抜擢されてその一員になるかと予想するフアンの楽しみも奪う結果に成ってしまいました、この様に全般的にレビュー作りが雑になつた証拠の一つは「大おどり」のプログラムの上でも感じられ、チームとして最後に残ったヤングラバーズのプログラムの写真が昨年の秋以来この秋まで4期とも全く同じ写真が掲載されて居る事にも現れています。
いざなぎ景気に就いての資料は次のサイトを参照下さい。
*http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je92/wp-je92san-42_1h-a.html
日劇ミュージックホール12〜2月開場20周年記念公演 すべて乳房からはじまる
出演/藤井輝子・英由美・小浜奈々子・松永てるほ・高見緋紗子・西崎ぼたん・朱雀さぎり・舞悦子・浅茅けいこ他
'05/04/25 初版
'09/03/25 再版
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46年 48年