c
昭和42年
×日劇「新春スタア・パレード」-(1月1日〜3日)
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「東宝映画」1967年1月号より。
藤あきみ
本名・藤田昭美。9月22日東京都生まれ。共立女子大学短期大学部卒業。ファッションモデルとして活躍中にスカウトされ、昭和41年に東宝契約。同年『パンチ野郎』(岩内克己監督)で映画デビュー。趣味は水泳・ハワイアン。
(「東宝映画」1967年11月号より)
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音楽舞踏新聞420105 日劇ダンシングチーム内田繁子 ホ−プ '67
×「初笑いクレ−ジ−だよ!ザ・ピ−ナッツ」10景(01/07〜14)
http://homepage.mac.com/infant/omotya/42hatu.html
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<出 演 者>
ザ・ピーナッツ
伊藤エミ
伊藤ユミ
---------------
クレージー・キャッツ
ハ ナ 肇
谷 啓
*
犬 塚 弘
安 田 伸
桜 井 センリ
石橋エータロー
*
植 木 等
---------------
田 辺 靖 雄
木の実 ナナ
*
スマイリー小原と
スカイ・ライナーズ
---------------
大 内 剣友会
東京コラリアーズ
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日劇ダンシングチーム
--------------
日劇オーケストラ
指揮:多 忠修
<スタッフ>
構成演出----塚 田 茂
振 付----県 洋 二
----荒 川 和 子
----小井戸 秀宅
殺 陣----大 内 竜 生
音 楽----萩 原 哲 昌
----宮 川 泰
装 置----小 林 雍 夫
衣 装----小 磯 豊 治
照 明----村 井 嘉兵衛
舞台監督----広 田 康 男
----橘 市 郎
制 作----宇 田 良 弼
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クレージーキャッツ全員、ハナ肇 植木等 谷啓 犬塚弘 安田伸 石橋エータロー 桜井センリの7名のサイン色紙です。(敬称略)
サインしていただいた時期:昭和42年1月12日
サインしていただいた場所:日本劇場(日劇)の楽屋
クレージーキャッツ、ハナ肇 谷啓 犬塚弘 安田伸 石橋エータロー 桜井センリ 無責任男シリーズ スーダラ節 スーダラ伝説
クレージーキャッツ全員のサイン色紙 |
植木等さんのサイン色紙 |
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同時上映映画
1967.01.01 社長千一夜 東宝 松林宗恵
1967.01.14 クレージーだよ 天下無敵 東宝=渡辺プロ 坪島孝
毎日グラフ 昭和42年1月15日号
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NDT三浦恭子 木の実ナナ フラメンコ
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×「第31回日劇ウエスタン・カ−二バル」10景-(01/15〜21)
×「三田明ショ―・恋人ジュリ―」12景-(01/22〜28)
同時上映映画
1967.01.14 クレージーだよ 天下無敵 東宝=渡辺プロ 坪島孝
×「佐々木新一ショ−・君が好きだよ」10景-(02/07〜13)
Yahoo!ミュージック - 佐々木新一
- アーティスト全曲集 佐々木新一
讀切傑作集-昭和42年6月号より佐々木新 |
364p |
アサヒ芸能 踊り子ドラマー大堀早苗・・・s42/03/05日号
春を叩く踊り子=日劇が誇るグラマーチーム「トッピング・ドールズ」の若手No.1大堀早苗 網タイツ:モノグラフ5P
週刊大衆3月16日号 大堀早苗
鰐淵晴子 |
大堀早苗レオタード |
「日劇春のおどり」12景-(03/02〜04/25)東宝創立35周年記念公演
日劇はこの「春のおどり」の為にオ−ケストラボックスを潰し本舞台とエプロンステ−ジを繋いで全面が舞台になる様に改造し、この為にオ−ケストラボックスは舞台に向かって右の一番前の二階ボックス席から舞台袖に降りる鉄製の階段下に客席の一部を取り払い設けられました(N日本劇場座席表を参照)、この鉄製の階段は舞台両側に設けられて居て日劇の舞台巾の狭さを補うために昭和20年代後期に設置され「三大おどり」では踊り子が此処からも出入りし、又ショウの開幕やフィナ−レにはデコレイションガ−ルで飾りました。
此の「春のおどり」は東宝創立35周年記念公演で大堀早苗さんのドラム・ソロで始まり続く「青春をぶちまけろ」でそのドラムに乗ってミニスカートの若い踊り子が多勢い舞台奥からオ−ケストラボックスが取り払われた舞台を通り客席近くのエプロン全面まで次々に押し出して新リズム”ブラスト・オフ”を踊りまくり(年末の「年忘れ日劇まつり」の項参照)、此れが大評判に成ってこの「春のおどり」は連日満員になりました、”やっっちゃん”は初日近い日にかぶり付きの席で見ましたが3月20日過ぎからは前5列が常時指定席に成って仕舞ったのを覚えています。
日劇レビューで全員が本格的にヘソ出しルックで踊ったのはこの時が始めてで(昭和43年の「春のおどり」か?)は無いかと思います、これは”やっちゃん”が昭和30年代に沢山撮った舞台写真の中にもその様な映像は在りませんから、それで踊り子の中には辞めてしまうと泣き出す者も居た位まだ世の中は純情な時代でも有りました、これ以降昭和40年代後半からはこのヘソ出しルックやセミヌ―ドの衣装も増えて行きます。
昨年昭和41年までは「大おどり」プログラム表紙は一の替わり二の替わりにより表紙のデザインが異なって居ましたがこの「春のおどり」から表紙は同じで内容のみ異なって居て(下記参照)、これ以降は一公演一デザインとなります。
「春のおどり」の二の替わりプログラムグラビアぺ−ジ |
「春のおどり」の二の替わりプログラム |
平凡パンチ3月27日号
音楽舞踏新聞420425 NDT日劇ダンシングチーム 森田敏子 春のおどり
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毎日グラフ 4月2日号 「日劇春のおどり」第1景青春をぶちまけろ
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毎日グラフ1967年5月14日号。表紙が森田敏子。
●懐かしのアイドル/森田敏子関連切抜13p+毎日グラフ。●切抜き/森田のみ4p、前田美波里との競演4p、日劇春のおどりから3p、日劇ダンシングチーム2p
毎日グラフ 5月14日号
SSSサンエス 5月号
春のおどり 大堀早苗
讀切傑作集-昭和42年6月号
第7景「民謡の春」
「春の調べ」 上条美佐保 |
第7景「民謡の春」
重山規子・上条美佐保 |
第9景「二つのラインダンス」 |
第12景「サン・レモに栄光あれ」
「アルデラ」 上条美佐保 |
第3景「テレホン」 |
第7景「民謡の春」 |
第12景「サン・レモに栄光あれ」
「花咲く丘に涙して」 ジャクリ−ン・フォ−ド |
NMH 03/20 |
この「春のおどり」のプログラムには次の五つの記事が掲載されて居ます(N舞台ALBUM昭和42年-T)。
1:「御挨拶」―東宝株式会社取締役社長-松岡辰郎 創立35周年の挨拶(1p)
2:’67日劇「春のおどり」みどころ ききどころ-各景の解説(6〜7p)
3:’67「春のおどり」について-山本紫朗-ミュ―ジカルの基本はレビュ―・・・(7p囲み記事)
4:「日劇レビュ―」あれこれ-石崎勝久-(14〜15p)
5:踊り子と目刺しとバラの花と―橋本与志夫-NDT史秒-NDT創立から現在までの暦史(19〜24p)
同時上映映画
1967.02.25 伊豆の踊子 東宝 恩地日出夫 (03/01〜06)
1967.02.19 千曲川絶唱 東京映画 豊田四郎 (03/07〜11)
1967.03.12 続・何処へ 東宝 森谷司郎 (03/12〜21)
1967.03.12 てなもんや大騒動 東宝=宝塚映画=渡辺プロ 古沢憲吾 (03/22〜31)
1967.04.01 佐々木小次郎 東宝 稲垣浩 (04/01〜07)
1967.04.01 坊ちゃん社員 青春は俺のものだ! 東宝 松森健 (04/07〜14)
1967.04.15 喜劇 駅前学園 東京映画 井上和男 (04/15〜21)
1967.04.15 落語野郎 大泥棒 東宝 松林宗恵 (04/22〜25)
N昭和42年春NDTスタ-名観・香盤表
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和42年-T
「日劇友の会」その後
「春のおどり」のプロの裏表紙の内側のぺ―ジに右に示す「日劇友の会」の広告が掲載されて居ます、”yachan”は昭和39年で友の会を脱会して仕舞いましたのでそれ以後の活動内容は不明ですが昭和45年頃までは活動を続けられて居た様子です。
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「昭和42年度春のNDT香盤表」-(昭和42年「春のおどり」プログラムによる)
春のプログラムに載って居るNDTの団員数は女性93名・男性35名・合計128名です。
更に詳しくは別ぺ−ジのN「昭和42年度春のスタ-名鑑とNDT香盤表」-(昭和42年「春のおどり」プログラムによる)を御覧下さい。
昭和42年「日劇春のおどり」看板を掲げた日劇のレトロ写真
90.Re: レトロ写真展
名前:はまさん
(・ω・)ノ 日付:11月4日(金) 17時48分
おそらく昭和42年の銀座数寄屋橋付近です。
ガードレールに腰掛けている小学生が私ですが、この38年後に自分がここを毎週酔っ払って歩いているとは思いもしませんでした。
道の向こうに見えるのが日劇で、今は有楽町マリオンになってます。大看板は「春の○○○り」と見えますが、露出オーバーで読み取れません。カラーテレビ ユニカラー 東芝の下には、橋幸夫ショーの看板に見入る父子が写っています。
日劇の右側には、今と同じでしょうか、チャンスセンターがあって、宝くじを売っているようです。その右が交番ですよね。
地図の赤矢印の地点で、矢印の方向に向けて撮られた写真です。
http://www2.ezbbs.net/cgi/bbs?id=nekocame&dd=35&p=9
×「橋幸夫ショ−・恋のメキシカン・ロック」12景-(04/27〜05/04)
×「ミュージカル・バラエティ」-(05/03〜07)名鉄ホ−ル
出演:宝田明、重山規子 他
http://www.e-meitetsu.com/mds/hall/02/02.html
昭和35年から毎年続いていた名鉄ホ−ル公演もこの年で終了してしまいNDTの大規模な地方公演もこの時期に来て終焉を向かえ、昭和33年以来の海外公演もこの年以降は無くなって仕舞いました。
×「第32回日劇ウエスタン・カ−二バル」9景-(05/05〜12)
出演:尾藤イサオ 内田裕也 タイガーズ ワイルド・ワンズ ブルーコメッツ シャープ・ファイブ 他
入場料:一般/¥450・学生/¥400 指定A/¥1100・指定B/¥900
「日劇レビュ―史」ではこの公演が第30回と成って居ますが間違いです。
プログラム表紙
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チラシ表(サイズ:約13×19cm )
チラシ裏
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同時上映映画
1967.04.29 クレージー黄金作戦 東宝=渡辺プロ 坪島孝
昭和42年5月30日発行 週刊プレイボ−イ
森田敏子水着
昭和42年6月1日発行 週刊大衆GSグループサウンズ日劇
<表紙>三浦布美子
<グラフ>カメラルポ「興奮する十代」〜グループサウンズにしびれる少女たち(日劇ウエスタンカーニバル
週刊プレイボ−イ
森田敏子水着 |
<表紙>三浦布美子 |
グループサウンズ |
×「チエミ大いに歌う」8景-(05/27〜06/02)
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367p |
同時上映映画
1967.05.27 上意討ち 拝領妻始末 三船プロ=東宝 小林正樹
×「園まりショ‐・つれてって」11景-(06/03〜09)
出演:園まり、森進一、笑点放送一周年記念/立川談志、三遊亭円楽 ほか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%82%B9
http://www004.upp.so-net.ne.jp/greenhill/shoten/shoten_histry.htm
同時上映映画
1967.06.03 続社長千一夜 東宝 松林宗恵
音楽舞踏新聞420615 NDT三浦恭子水着 夏のおどり
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週刊文春6月19日号
立川真理 日劇ミュージックホ―ルにて
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×「ハワイアン・ハイライト」9景-(06/30〜07/06)
B5判16ペ ージ |
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7月3日指定席入場券 ¥440
1階ホ列20番(前より5列目の真中) |
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日劇レビュ−史368p |
同時上映映画
1967.07.01 南太平洋の若大将 東宝 古沢憲吾
「エイト・ポピ-ズ 再編成」
「夏のおどり」の前に近江ツヤ子・三浦恭子さんの二人が連名入りし松島由利子さんが退団した為に、23期の吉田瑛子・24期の新倉まり子・大庫幸子さんの3名が新たに加わって「エイト・ポピーズ」が再編成されました。
エイト・ポピ-ズの新メンバ−
期別 |
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団員名 |
20 |
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大西冨美子・田島章子 |
21 |
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進藤禎子 |
22 |
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麦倉文子 |
23 |
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神尾周子・吉田瑛子 |
24 |
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新倉まり子・大庫幸子 |
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進藤・新倉・大庫・大西・田島・麦倉・神尾・吉田さん |
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→練習にはげむ三浦恭子さん(中央) |
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新入りのメンバ−
吉田瑛子(23) |
新倉まり子(24) |
大庫幸子(24) |
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「トッピング・ドールズ再編成」
「春のおどり」後に葉月さんが正式退団し24期の・鈴木麗子さんが新メンバ−として加わりました。、
トッピング・ドールズの新メンバ−
期別 |
|
団員名 |
21 |
|
酒本三和子 |
22 |
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森田敏子 |
23 |
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二条奈津江・大堀早苗 |
24 |
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塩原美和子・鈴木麗子 |
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トッピング・ドールズ |
新入りのメンバ−
鈴木麗子(24) |
「日劇夏のおどり」12景-(7/8〜8/25)
「夏のおどり」の第1景は(サマ−・ホリディ’67)で此の様子は「秋のおどり」プログラムの表紙の裏に写真が載っています、此の「夏のおどり」から23期の近江ツヤ子・三浦恭子さんが揃って連名入し、三浦恭子さんが始めてソロで(マシュ・ケ・ナダ)を唄いました、又西川純代さんが羽鳥さんと組んで「バレェ・エスパニョール」でスパニッシュ・バレェを踊り(このバレ-は”やっちゃん”に昭和34年の夏のおどりと年末のビックパレ-ドで川戸美代子さんが踊った「グラン・パ・エスパニヨル」を懐かしく思いださせてくれました)。其の他は(’67「夏のおどり」見どころ聞きどころ)を参照下さい。
このプログラムには次の4本の記事が掲載されています。
1:(’67「夏のおどり」見どころ聞きどころ)-(2p)
2:(楽しき哉!「夏のおどり」)-野口善春
3:(世界の踊りを日劇で・・・)-本与志夫氏(2p)
4:(脱皮しつつあるNDT)-神谷雅彦
そこでこの「夏のおどり」の概要が載っている(’67「夏のおどり」見どころ聞きどころ)その他の記事を複写掲載しましたので「夏のおどり」のプログラム表紙をクリックして御覧下さい、このショウの概要が良く分かります。
(楽しき哉!「夏のおどり」)はこの「夏のおどり」を構成演出された野口善春氏の記事でレビュ−のゲスト歌手に始めてオペラ界から中村健(7/15迄)・立川澄人(7/16より)さんのお二人を招いた事を、(世界の踊りを日劇で・・・)は日劇レビュ-史の著者橋本与志夫氏がこれまで日劇で見た世界の踊りに就いての記事です。
中村健・立川澄人さんのwebサイトは
*http://katuta.hp.infoseek.co.jp/t-nakamura.htm
*http://www.elrosa.com/tisen/41/41077.html
又(脱皮しつつあるNDT)はサンケイ新聞教養部の神谷雅彦氏からの寄稿でNDTの主だった団員の方々が近頃外部出演が多く夫々活躍が目立っているがこの「夏のおどり」には全員集合し此れに若手の優秀な人が台等して来た事えの期待を語って居ます。
「夏のおどり」のプログラム表紙
→三浦恭子さん |
プログラムのカラ-グラビア-1
→プログラムのカラ-グラビア-2 |
連名入り
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近江ツヤ子(22) 三浦恭子(22) |
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チラシ
構成・演出/野口善春、原田博行出演者/中村健、立川澄人、コント55号
N昭和42年夏NDTスタ-名観・香盤表
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和42年-U
同時上映映画
1967.07.01 南太平洋の若大将 東宝 古沢憲吾 (07/08〜14)
1967.07.01 その人は昔 東京映画 松山善三 (07/15〜21)
1967.07.22 キングコングの逆襲 東宝 本多猪四郎 (07/22〜08/04)
1967.07.22 ウルトラマン 円谷プロ 円谷一 (08/05〜11)
1967.08.03 日本のいちばん長い日 東宝 岡本喜八 (08/12〜25)
1967.08.12 皇太子同妃両殿下の南米ご訪問 毎日映画
週刊大衆42年7月6日号
日劇ダンシングチームNDT三浦恭子のレオタードと網タイツ
週刊大衆420706 鰐淵晴子 |
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歌って踊る20歳の下町娘
NDTの新星 三浦恭子
週刊平凡パンチ 昭和42年7月10日号&文藝春秋漫画読本8月号表紙 森田敏子
サンデー毎日 昭和42年(1967年)8月6日号
NDT(日劇ダンシング・チーム)花形ユニット「エイト・ポピ-ズ」〜
大西冨美子・田島章子・進藤禎子・麦倉文子・神尾周子・吉田瑛子・新倉まり子・大庫幸子(カラー/1P)
表紙:佐藤慶 |
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プレイボ−イ 昭和42年(1967年)8月8日号 鹿島とも子
「梶鉄哉さん現役を引退」
この「夏のおどり」を最後に30年代プリティ・ガ―ルスの相手チ―ムのスリ―・スパ―クスで活躍された11期の梶鉄哉(11)さんが現役を引退され今後はスタッフとして振り付け等でNDTに協力して行く事に成りました。
又日劇合唱団を指導し自身でも活躍して来た吉野達男さんも退団され昭和43年には日劇混声合唱団も解散されて仕舞いました。
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梶鉄哉(11) |
吉野達男 |
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×「NDT四国公演」-(08/28〜09/06)
詳細下記「NDT往来」参照
×「第33回日劇ウエスタン・カ−二バル」?景-(08/26〜09/01)
東宝 日本劇場1967年
「日劇レビュ―史」に於いては何故かこの期間(08/26〜09/01)が空白に成って居ます、この当時ウエスタン・カ―二バルは毎年1/5/8月の3回公演されて居るのでこのパンプは多分この時のものと推察されます。
第33回記念公演『日劇
ウエスタンカーニバル』 [出演者]ブルー・コメッツ ザ・タイガース 尾藤イサオ ザ・ワイルド・ワンズ 寺内タケシとバニーズ シャープ・ホークス アゥト・キャスト シャープ・ファイブ ゴールデン・カップス フォー・リーブス テンプターズ ブルー・ファイア 〔発行所〕東宝株式会社
事業・開発部出版課 昭和42年08月26日 発行 ☆☆☆ ☆大きさ:26.0×18.0 cm 重さ:45 g ☆☆☆
同時上映映画
毎日グラフ9月24日号
ヤングミュージック1967年10月号 特集:タイガース
×「ピ−ナッツ・ホリデイ・ジャニ−ズと共に」8景-(09/02〜08)
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369p |
×「水前寺清子ショ−」10景-(09/09〜15)
「水前寺清子ショ−」の看板のある日劇
この写真はこの年9月9日より一週間公演された「水前寺清子ショ-」の上演期間中に銀座方面より撮影されたもので日劇正面には公演の看板が掲げられ、手前には朝日新聞社、背後には、初代0系の東海道新幹線が走り、日劇前の晴海道路にはまだ都電の姿が見られます。
右のの映像は「東京懐かしの昭和30年代散歩地図」実業之日本社より転写しました。
日劇前にはマイカ-時代を向かえ自家用車の展示されているのが見受けられます。
同時上映映画
1967.09.02 喜劇 駅前探検 東京映画 井上和男
67.09.02 てなもんや幽霊道中 東宝=宝塚映画=渡辺プロ 松林宗恵
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昭和42年の日本劇場 |
×「扇ひろ子ショー・女のブルース」」8景-(09/16〜22)
同時上映映画
1967.09.15 でっかい太陽 東宝 松森健
1967.09.15 颱風とざくろ 東宝 須川栄三
×「三沢あけみショー・女のブル−ス」8景-(09/16〜22)
B5サイズ おんな橋は恋の橋
共演:青江美奈・コント55号
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369p |
「NDT26期生入団」
この春募集したNDT26期生35名(女性29名・男性6名)がこの「秋のおどり」を前に入団しました。
尚この26期の中に後に連名に入った次の4名の方が居ます。
横瀬美枝子(後に芸名=谷さゆりを襲名)
秋元京子
渚香織
小牧英子 |
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秋元京子(26) |
横瀬三枝子(26) |
渚香織(26) |
小牧英子(26) |
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NDT26期の渚香織さんから当HPとの相互リンク希望のメ−ルを頂きましたので、此処に渚香織さんのHPのアドレスを記載させて頂きます(’05/07/10)。
*http://nagisakaori.fc2web.com/
又この26期生?で「日劇レビュ−史」の名簿及びプログラム等には名前が載って居ませんがweb上で越野あき子さんを発見次のURLを御覧下さい。
*http://yoyaku.city.urayasu.chiba.jp/manabi/info/info5/T08000094.html
「トッピング・ドールズ再再編成」
この「秋のおどり」から昨年の「秋のおどり」に発足したトッピング・ドールズは先の「夏のおどり」を終えて塩原さんが退団の為やはり24期の福井さんが加わり再編成されています。
トッピング・ドールズの新メンバ−
期別 |
|
団員名 |
21 |
|
酒本三和子 |
22 |
|
森田敏子 |
23 |
|
二条奈津江・大堀早苗 |
24 |
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鈴木麗子・福井圭子 |
|
酒本・二条・大堀・鈴木・福井・森田さん |
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→ラインダンスパレ-ド |
|
新入りのメンバ−
福井圭子(24) |
「エイト・ポピーズ編成変え」
尚「エイト・ポピーズ」は麦倉文子さんが退団し24期生の町田和子さんが補充されて居ます。
エイト・ポピ-ズの新メンバ−
期別 |
|
団員名 |
20 |
|
大西冨美子・田島章子 |
21 |
|
進藤禎子 |
22 |
|
- |
23 |
|
神尾周子・吉田瑛子 |
24 |
|
新倉まり子・大庫幸子・町田和子 |
|
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町田和子(24) |
「昭和42年度秋のNDT香盤表」-(昭和42年「秋のおどり」プログラムによる)
秋に入団した25期生45名の人数を加えても秋のプログラムに載って居るNDTの団員数は女性111名・男性34名・合計145名で、昨年とはやや団員数は増えています。
更に詳しくは別ぺ−ジのN「昭和42年度秋のスタ-名鑑とNDT香盤表」-(昭和42年「秋のおどり」プログラムによる)を御覧下さい。
「日劇秋のおどり」15景-(10/1〜11/25)
このプログラムには夏と同様に次の3本の記事が掲載されています。
1:(NDTのスタ-たち)-橋本与志夫
2:(日劇と私)-北川信造(2p)
3:(日本のレビューとNDT)-法政大学助教授 森川英正(2p)
(NDTのスタ-たち)は橋本与志夫氏が当時活躍していたNDTのスターに就いての記事なので、このぺージは夏と同様に複写掲載しますのでプログラムの表紙をクリックして御覧下さい。
(日劇と私)はこの「秋のおどり」を構成演出された北川信造氏の随筆ですが’67日劇「秋のおどり」全15景の香盤4ぺージを複写掲載しますが、そのぺージ上部に記載されて居るので割愛します。
(日本のレビューとNDT)は法政大学助教授の森川英正氏の2ぺージの記事で、
始めにNDTは他のレビュ−団と比べて余りマスコミにも取り上げられず世間には知られていないが次の点でNDTのレビュー程面白いものはないこと
1;男性舞踊手を抱えているので本格的な踊りを満喫出来る
2;ゲストを自由に使えるので変化に富んだ舞台構成で楽しませてくれる
3;有楽町の目の肥えたお客を対象にして来たので構成・振付・美術・音楽等が常にその時代感覚にマッチして居る事
4;ハ−ドトレイニングで鍛え上げられた舞踊手の高い技術
次にはNDTとの付き合いが始まったのが昭和23年からでフアンと成った経過そして陰ながら声援する一方的な付き合いで在った事が書かれて居ますが、これは”やっちゃん”より5年早いフアンですが略同時代の似たような経過でフアンになり、当時応援して居たNDTの団員の方(例えば川戸美代子さん)が共通する事と当時の推奨する演目でも同じ様なものを挙げて居たのには同感でした。
「秋のおどり」の概要は’67日劇「秋のおどり」全15景の香盤4ぺージの複写掲載したものを見て頂ければ分かりますが、此の中で第1景「ロイヤル・ロック」では春に続き再び大堀さんがドラムを叩き、鼓笛隊の隊長は三浦さんで(上のカラ-グラビア参照)ミニスカ−トの乱舞が再び舞台一杯に展開されました。
第9景の「ライン・ダンスパレ−ド」は新入団の26期生29名(男性6名で合計35名)と25期生28名(1年で12名が退団)で合計57名のものでしたが昨年の様に同期生だけで無いせいか全員の息が合っては居ませんでした。
同時上映映画
1967.09.30 なつかしき笛や太鼓 東宝=宝塚映画=木下プロ 木下恵介 (10/01〜09)
1967.09.30 育ちざかり 東宝 森谷司郎 (10/10〜17)
1967.10.18 爆笑野郎 大事件 東宝 鈴木英夫 (10/18〜27)
1967.10.28 クレージーの怪盗ジバコ 東宝=渡辺プロ 坪島孝 (10/28〜11/04)
1967.10.28 ドリフターズですよ!前進前進また前進 東宝=渡辺プロ 和田嘉訓 (11/05〜11)
1967.11.18 喜劇 駅前百年 東京映画 豊田四郎 (11/12〜18)
1967.11.18 乱れ雲 東宝 成瀬巳喜男 (11/19〜11/25)
N昭和42年秋NDTスタ-名観・香盤表
TF日劇ダンシングチ―ム舞台ALBUM昭和42年-V
「日劇の入場料金」
分類 |
入場料金(¥) |
指定席 A |
1.000 |
指定席 B |
800 |
一般 |
400 |
学生 |
300 |
小人 |
200 |
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「秋のおどり」のプログラムの中に「二の替り」の広告ぺ−ジが有りそこに当時の日劇の入場料金が載っていますので紹介します、指定Aは一階席の前5列、Bはニ階席の前3列ではないか?と思います、此の他二階には左右に3ヶ・三階には左右に2ヶ合計10のBOX席が在りましたが(「二の替り」の広告ぺ−ジの下部参照)此れは特別料金では無かったかと思いますが?。
*昭和31年の「日劇入場料金」と比べて見て下さい。
又同じプログラムに東宝劇場従業員(客席係・出札係)募集の広告が載っていますが、それに依れば年齢15〜25才の女性・学歴不問で待遇が¥22.300(20才出札係)交通費支給と有り当時の時代が偲ばれます。
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三浦恭子
CD化
朝日グラフ 昭和42年10/6号 日劇ダンシング森田敏子
週刊朝日 昭和42年10/27号 日劇ダンシング森田敏子
出版社:朝日新聞社 価格他:60円
グラビア:映画に出る日劇ダンシング・チームの森田敏子
ポスターからスクリーンへ幸運な娘〜日劇ダンシングチームの森田敏子さん(映画「さらばモスクワ愚連隊」に主役…どこから見ても「混血」の名がぴったりする容姿の持ち主… モノクロ4頁)
×「伊藤ゆかりショ−・小指の思い出」14景-(11/25〜12/01)
チラシ:B6判(写真1の状態で)二つ折りタイプ
構成・演出/塚田茂 キャスト/伊東ゆかり、ザ・ワイルドワンズ、奥村チヨ
同時上映映画
「喜劇 駅前百年」 1967.11.18 喜劇 駅前百年 東京映画 豊田四郎
キャスト/森繁久弥、伴淳三郎、淡島千景、大空真弓、森光子
×「年忘れ日劇まつり」12景-(12/21〜27)
春のおどり「青春をぶちまけろ」の再演 |
昭和33年から36年まで(35年は日劇大改装の為無し)の3回、年末に行なわれて居た「日劇ビック・パレ-ド」の久し振りの復活で、内容は春好評の「青春をぶちまけろ」のミニスカ-トの「バラバラ」・大提灯の簾幕が吊り上げられた下での「麦屋節」、夏の「カンカン」・「マシュ・ケ・ナダ」、秋から「トロピック・ホリディ」等が再演されています。
これは此の年の「三大おどり」がどれも好調で「日劇ビック・パレ-ド」が毎年の年末公演されていた昭和30年代の日劇全盛時代にも匹敵する昭和42年でした、この原因を考えてみると30年代後半に途絶えて居たチ−ムが昭和40年の夏のエイト・ポピ−ズ、昨年の秋にはトッピング・ドールと新チ−ムが結成され今年になってその中から若いスター候補生が生まれて来た為と20期から24期の入団者にこの二つのチ−ムを作れる優秀な方達が多かったこと、又今年は海外公演も無く「三大おどり」総てがNDTの総力をつぎ込んで公演出来た事では無いかと思います。
然しこの盛況も昭和45・46年頃迄で昭和47年の春に此の2チ−ムが人材不足で消滅すると共にNDTの衰退に一層拍車が掛かった様に思います。 |
同時上映映画
1967.12.16 君に幸福を センチメンタル・ボーイ 東京映画 丸山誠治
1967.12.16 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 東宝 福田純
'05/02/10 初版
'05/06/15 改定1
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41年 43年